脱サラ議員奮闘記
『あなたが動く 社会が変わる』 山根一男(岐阜県可児市議会議員)
≪選挙編2≫
いよいよ当日がやって来た。2002年10月20日、告示の日である。市議選においてはこの日からちょうど1週間、選挙運動ができる。私に一票入れてくださいということを、堂々と言える期間である。
ただ、その前に市役所まで行って、立候補の届出をしなければならない。そこで「選挙の七つ道具」といわれる標章類や運動員の腕章などをもらい、初めて選挙運動ができる。掲示板に貼る、ポスターの番号の抽選もこの時にする。
通常、候補者は立候補の届出などには行かないものだが、人手がないので私は行った。会場には、たった三人の候補者に、選挙管理委員など30人くらいいて、これは税金の無駄遣いではないかと思った。それくらい重々しい。
初日は、出陣式というのをやる。だが、市民派候補はそういう言い方はしない。戦争を連想させるようなことばは不適切だということだろう。単に出発式という。組織力のある候補なら、ここで何百人という支持者を動員するが…
なにせ私の場合は、ほんの一週間ほど前に支持母体といえそうな人の集まりができたばかりである。それでも、何度か勉強会に参加した『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』のメンバーや近所の方など、25人ほどは来てくれた。
メンバーの発案で、選挙事務所の前にエレクトーンを置き、生演奏をしてもらった。事務所が駅前にあったので、従来型ではない爽やかな選挙運動を演出する効果はあった。激励のことばをいただき、決意のあいさつをして、いざ出発である。
ところが、いざ出発して選挙カーに乗り込むのに人員が足りない。ワゴンタイプの選挙カーである。普通は、運転手と候補者、マイク係(市民派はウグイス嬢とは言わない)手振り役など4〜5人は乗るものだ。
しかたなく激励の挨拶をしてくれた、隣町、美濃加茂市の市民派議員に急遽\乗ってもらった。マイクを握ってくれたのは、私を市議選にさそってくれた市民派女性議員である。彼女には結局、丸三日間お世話になった。
初日は雨模様となった。ポスター貼り部隊がたいへん難航した。選挙ポスターを掲示板に貼る位置が決まりしだい、市内210ヶ所にあるすべての掲示板にすみやかに貼らなければならない。組織力がなければこれも大変なことである。
普通は、初日の午前中には貼り終えないと泡沫候補と見られる。数人の方に手分けして貼ってもらったが、結局夕方までかかった。それでも雨の中、地図を頼りに貼り歩くことは並大抵のことではない。感謝感激である。
私が選挙に出るきっかけとして、寺町みどりさんの「市民派議員になるための本」が強力な味方になったということは以前に書いた。その中に『候補者さえいれば選挙はできる。』というフレーズがあり、いたく励まされたものだ。
しかし、本当に選挙をやろうと思ったら、多くの方の支えがなければとてもできない。まずは、自ら決意することが第一歩であることは確かだが、そこから立候補、選挙運動となると、相当のコーディネート能力と、強い意志が要求される。
初日からつなわたりの状態であった。夜、8時にマイクを納めた時、もうくたくたに疲れていた。明日からどう回して行こう。街頭演説の原稿も練り直したい。選挙カーのバッテリー充電や、2000枚送れる公選はがきのことも考えなければならない。
何もかも手詰まりの中、人員の配置は特に困難を極めた。選挙事務所も空にしておくわけにはいかない。こんな状態で、最後まで選挙運動を続けられるのだろうか…不安がぐるぐるよぎる。
…つづく (山根)
|