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■ <連載> わが町中津を語る ☆彡
▽ 霊崎(タマサキ) ★彡☆彡
目次
(1) 「八百八”ガード”の町中津」を芸術・文化の発信基地に!
(2) 今、中津(大阪市 北区)が面白い! “ピエロハーバー”
(3) 今、中津(大阪市 北区)が面白い! 「Vi-Code」と「中津まつり」
続きはこちらに掲載しています。
(1) 「八百八”ガード”の町中津」を芸術・文化の発信基地に!
私は大阪の中津という町に住んでいます。場所は大阪の北の玄関、梅田から阪急電車に乗って一つ目の駅です。
中津の印象を友人たちに聞くと「通り過ぎる町」という答えがかえってきます。
その理由は中津の南西部を阪急電車と国道176号線の高架が平行して、梅田から中津を経て淀川を渡って対岸の十三へ向っています。駅には急行は停車せず、京都線に至ってはプラットホームすらありません。
十三を経て京都、神戸、宝塚へ行くための通過点なのでめったに下車することがないという意味のようです。
次に中津の東部はJR大阪駅裏のコンテナヤードに連なる貨物線が縦断していて、梅田方面の繁華街と隔てられており、北部は淀川が滔々と流れ十三の繁華街と分断されています。
中津の中心部へ行くには阪急電車・国道の高架や貨物線の多くのガード(私は八百八ガードの町と呼んでいます)のうちの一つをくぐらなければ入ってゆくことが出来ないのです。
従って梅田から徒歩10〜15分の立地なのに開発の手が入らず、昔の風情が漂っています。
古くから住んでいる地元の人たちは「中津村」といってマイナーなイメージを抱いています。私はサラリーマン生活が長く、これまで地元の中津という町に特別な思いはありませんでした。ところが数年前から自宅の周辺で開発が始まりあっという間に大きなマンションが4つも建ってしまいました。1つ目の時は反対運動が盛上がりましたが、あとはなし崩し的に建ってしまいました。
建設反対運動が私を中津に目を向けさせるきっかけとなりました。そして年とともに自分が育ったふるさと中津に愛着がつのってきました。
そしてわが町中津の名所や旧跡をお年寄りに教えてもらったり、新しいスポットを若い人たちに聞いて、中津のマップ作りを始めました。
そんな中で「通り過ぎる町」「開発の手垢のついていない町」「八百八ガードの町」中津に新しい動きが起こってきたのです。
(つづく)
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