脱サラ議員奮闘記
『あなたが動く 社会が変わる』 山根一男(岐阜県可児市議会議員)
≪決意編3≫
可児市の人口は9万7千人。岐阜県では5番目に人口は多い。名古屋までは1時間弱で出られる。都会でも田舎でもない。悔しいけどごく平凡なまちだ。
勤めていた大手通販会社の大物流センターがこのまちにあり、たまたま転勤で私はこのまちに来た。約4年経っていた。会社勤めのかたわら可児市NPO活動研究会という会をつくって、少しずつ人脈を広げつつあった。
そんな私に2002年10月に市議会議員の補欠選挙があると教えてくれた市民派女性議員とも、3年ほど前の選挙で少し手伝ったことから交流があった。
それにしても急だ。あと三ヶ月でどれだけのことができるだろう。ただ、失業生活も7ヶ月を越え、なんとかNPOの分野でやりたいことをやりながら食べていけたらという計画は頓挫しつつあった。一人ならやれるかも知れないが女房子ども4人を食わせてゆくのは不可能に近い。だったら一発勝負に出てみるか!?
そんな頃、不思議な出会いがあった。「無党派市民派自治体議員と市民のネットワーク」という東海地区だけの勉強会に顔を出すようになっていたのだが、そのメンバーの一人が高富町という町の町長選に出るというので、手伝いに行った。
寺町ともまささんという方がその方だが、そのつれあいの寺町みどりさんも町議選に出るというので、夫婦して手づくり選挙を展開していた。そして、まだゲラ刷りの段階だが『市民派議員になるための本』(学陽書房)を著者のみどりさんからいただいた。
むさぼるように読んだ。これほど具体的に己を奮い立たせてくれる本に出会ったのは久しぶりだ。家族の説得のしかたまで書いてある。しかも、この本をプロデュースしたのは上野千鶴子さんだった。上野さんは25年前、彼女がまだ講師だったころから交流が続いている。
絶妙のタイミングで、私は「市民派議員になるための本」を手にした。しかも発刊前にそのような本に出会うなんてことがあっていいのだろうか。寺町夫婦との出会いも大きかった。 その後、選挙カーの提供からチラシや看板の作成、マイクの使い方までアドバイスいただいた。
2002年8月お盆を過ぎた頃、勢いにのってようやく女房をくどき落とした。何も手伝わなくていいから…というのが条件だった。
…つづく
(山根 04年1月)
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