脱サラ議員奮闘記
『あなたが動く 社会が変わる』 山根一男(岐阜県可児市議会議員)
≪決意編2≫
市議の年収700万。政令指定都市なら軽く1000万は超える。誰に命令されるでもなく、1年12ヶ月のうち10ヶ月はフリーに動くことが出来る。私のようにボランティアが高じて限度がなくなり、社会を変えてゆくことが自分の使命だと思い込んでしまった人間にとって、これぞ天職といえる。
ただ、私も最初から市議になろうとしたわけではない。会社を早期退職するときに、可児市で公設民営型のNPOセンターをつくる話があった。その設立準備委員長をしていた私は、うまくいけばその事務局長になるつもりでいた。ただ、その後すったもんだがあり、希望は叶えられなかった。
実は選挙には2回出た。2002年の10月の市議の補欠選挙と、電子投票トラブルで有名になった2003年7月の市議本選だ。2002年の7月までは10月に補欠選挙があることさえ知らなかった。ただ、失業給付とNPO関係の仕事で細々と生活している身の上で、窮極の選択肢として市会議員があることは絶えず頭の片すみにあった。
俗に選挙には地盤、かばん、看板がいると言われる。私は転勤で5年前に可児に越して来た身なので、親戚もいなければ同級生もおらず、自治会など地縁組織との関係もほとんどない状況であった。ようやく1年ほど前から可児市のNPOに関心を寄せる人たちとつながりが出来つつあった程度だった。
常識的に考えて、私のようなヨソ者が選挙に出て通る確率はほとんどない。当然、つれあいは大反対する。ほとんど離婚話にまで発展しかねない雰囲気だった。そんな状況の中で、すでに活躍していた市民派女性議員から、10月に市議の補欠選挙があるから、知名度をあげる上でも出た方がいいと勧められた。2002年の7月のことだった。補選まであと3ヶ月、議席は、たったひとつである。
…つづく
(山根 03年12月)
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