テーマ《 みかん 》 14号(04-11-20)掲載 その3/4
「ミカン」という娘
松虫
ミカンというあだ名の子がいた。中学二年の時である。静岡出身の彼女は、あだ名のとおり、ミカンのような娘だった。弾むような小さい身体と、香しく明るい笑顔。頭も良かったが、カミソリのような冷たい鋭さではなく、サクサクとよく切れる和バサミのような聡明さだった。静岡から大阪の中学校に転向してきたばかりで、言葉は歯切れの良い関東弁だったが、大阪の下町、通天閣の近くにあったぼくらの中学校でいじめられることは決してなかった。
彼女は牧師の娘で、父親が静岡の教会から西成の釜ヶ崎へ布教に来ていたのだ。ぼくらのクラスの男子生徒の大多数は、彼女に魅了された。きれいで頭の良い子が多かったぼくらのクラスの女子の中でも、彼女はごく自然にリーダーシップを発揮していた。クラス会の議事進行、運動会の出し物についての話し合い、そして授業中の教師への質問など、屈託のない態度が気持ちよかった。
彼女は、ぼくら二年三組のクラスに一年間いただけで静岡県へと帰っていった。仲の良かった十人ばかりの同窓生が教室で彼女のためにお別れ会をした。最後になぜだか、あの頃流行っていた「東京ドドンパ娘」をみんなで唄った。
「好きにィ〜なあったらあ〜、忘れぇ〜らあれぇなあい〜」。今でもテレビの懐メロ番組などでこの歌を聴くと、あの時の甘酸っぱい感覚が蘇る。彼女が教室を去ったあと、おやつに出した明るい色のミカンが一個残っていた。ぼくは、それを手に取り、ゆっくりと鼻に近づけた。
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