テーマ《 好きな季節 》 12号(04-09-20)掲載 その3/3
「目から耳から心から−−−秋」
かざりえみこ
好きな季節、それは 秋。
夏の喧噪からほっと解き放たれる日が、秋の始まり。窓を開け放しているせいか夏はとにかくうるさい。夏休みの子どもの声。それからセミ。日が昇るのとセミの声とどっちが早い? 声高に立ち話をするおとな。夜が更けるまで花火をする若者たち。これらに辟易しはじめたころに吹く風のうれしいこと。そんなとき思い出すのは、古今和歌集の巻四、藤原敏行朝臣の和歌。
秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
「ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みーつけたー」と歌うより先に、昔覚えた一首が先に思い浮かぶ。自分が動いていては決して気が付きようもないしずかな世界。
それから、俳句のこの世界。
夕暮れやひざをいだけば又一葉(ひとは) 一茶
釣鐘の肩に重たき一葉かな 芭蕉
桐一葉落ちて天下の秋を知る 淮南子(えなんじ):前漢時代の書より
この一葉(ひとは)を桐と断定したのは松尾芭蕉だという。私は20歳になっても、桐の木の下で「ああ、まだ葉っぱがしっかりついている。芭蕉さんはエライな」なんて見上げていた記憶がある。
子どもの頃よく歌った好きな一節がある。
・・・お背戸に 木の実の 落ちる夜は・・・
『里の秋』斉藤信夫作曲 海沼実作詞
喧噪の中では聞こえない音を聴く季節。それが秋。
私は生まれも育ちも東北の純農村地帯。きょうだいも友だちもあったけれども、いちばん好きなのは、一人遊び。ある時は畦にすわってイナゴがはねる音に耳を澄ます。稲の穂が風に揺れる音を聴く。稔りの匂いと豊かなざわめき。
キリギリスや、コオロギの声も一直線に心の中へ入り込んでくる。自分がじーっとしていれば、あの小さな栗ひとつ落ちるだけで、地面が揺れるような感覚を味わっていた。今日はお天気がいいから、友だちがさそいに来てくれなければいいのにな、と真剣に考えていた「きわめてまともで、ヘンな子ども」だった。友だちと遊ぶのも楽しいけれど、もっと楽しい世界をもっていた。
自然が遊び相手であれば、どんな悩みも自然が飲み込んでくれる。それが心静まる秋であればなおさらのこと。体験した私が言うのだから嘘ではない。
季節を知らないで部屋の中に閉じこもり、自分にしか向き合えない子どもた
ちを秋の野に放ちたい。私はこのごろ真剣にそう考える。
(かざりえみこ)
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