テーマ《 夏の思い出 》 10号(04-07-20)掲載 その2/2
「夏の思い出」なんて無い!?
本河知明
夏の思い出…。
思い出が“たまたま夏だった”というのはあっても、あまり夏らしい思い出が思い浮かばない。海へ最後に行ったのがいつだったかも思い出せない。花火見物は数年前くらいに行ったっけ。でも、見物客が落としていくゴミの醜さのほうが印象に残っているくらいだ。キャンプへ行ったりもしていない。
うーん、困った。
そう言えば中学生のとき、こんなことがあった。
私は小六のころから環境問題に関心を持っていた。自力でちょっと本を読んで勉強していた程度だったが、「クーラーの設定温度を一度上げると、石油○○リットル分の省エネになる」とか、そういう知識だけは頭に入っていた。
中学生時代と言うといわゆる反抗期だったが、私の反抗する理由の一つが、実は環境問題についてだった。
最近は自分に対して少し甘くなってきた気がするが、私はなるべくエアコンを使わないようにしている。使ったとしても、設定温度にとても拘る。冷房のときは高く、暖房のときは低く、という具合に。
中学生時代も、もちろんそうだった。
私は学校から帰宅しても、基本的にエアコンを入れない。しかし、父が仕事から帰ってきたとき、バトルが勃発。仕事でクタクタ、最寄駅から10分くらいの距離を歩いて帰ってくる間にも、汗がタラタラ。当然父は帰宅後すぐ、エアコンのリモコンに手を伸ばす。それに待ったをかける私。
今から見れば、少々大人気なかったと思ったりもするが、当時はエアコンを入れる/入れない、設定温度を一度上げる/上げないで、親と対立していた。抗議の意味で、エアコンのファンがある屋外に出て、夕食を食べずにハンガーストライキをしようとしたこともあった(笑)。
なぜ私がここまで環境問題に関心があるのか、きっと両親はまだ理解していない。私のほうも、年齢を重ねるにしたがって、真剣に説明しようとせず、適当に流すようになっていった…。
でも、20年程度しか人生が残っていない両親世代と、これから50年近く生きていかなければならない私たちの世代とでは、環境問題の持つ意味が全然違うのだ。
近年、地球規模で異常気象が起きている。日本の四季もメチャクチャになってきている。
「ハレ」と「ケ」―――。ハレの部分ではまだ季節感が残っているものの、ケの部分では、季節感のかけらもない日常シーンばかり。食物で季節を感じることも少なくなった。
いまや四季に合わせて生活を楽しむ余裕がなくなっている。“気づいたら、今たまたま夏だった”、そんな感じで毎日が過ぎていく…。
(本河)
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