三反農家の米作りノート ◇◆◇◆◇
(4) 我田引水
6月初旬に田植えを終えると、一月半ほど農作業はほぼお休み。水の管理さえ間違えなければ、自然の力が苗をぐんぐん育ててくれて、水を張った田んぼはわずか一か月で緑一面の絨毯と化している。冷房の効いた2階の仕事部屋の窓から田んぼを眺めると、やわらかな葉が風にそよぎ、夏の風の動きが見える。緑の絨毯にポツポツ空いてる穴は補植の手植えをさぼった証拠だが、風景の中で見る分には、他人の田んぼも自分の田んぼも関係ない。泥もないし、汗もない。夏の田んぼは見て楽しむのが一番!
苗が育ったら、当然のことながら、畦(あぜ)の雑草もすくすく育っている。いつの間にか周りの田は一回目の畦の草刈を済ませていて、わたしの田だけ畦が草ぼうぼう。棚田はともかく畦が広い。どうせ刈ってもすぐ伸びる。部屋の冷房も心地よいし、仕事もたまっている。もうちょっと見て見ぬふりをして放っておくことにする。
ところで、この時期は農作業はほとんどお休みと書いたが、兼業農家が一番困るのは実はこの時期の水の管理。わたしの場合は朝夕の犬の散歩のついでに田の水を見て歩き、減っていれば水を入れ、止めるのを忘れないように携帯電話のタイマーをセットして、家に帰って仕事をする。だからまだやっていられる。だが、会社勤めならそうもいかない。たとえ朝の6時に起きて水を入れに行っても、水路に水が来ていなければその日はアウト! うまく水が来ていても、出勤時間までには入りきらない。いったん止めて、夜にまた懐中電灯片手に水を入れに行く。残業や出張の多い人にはとても管理しきれない。ここで水の管理に失敗すると悲惨な結果が待っている。田は草だらけとなり、苗は充分には育たず、8月以降に出てくる病虫害にも耐えられない。
農家というのは本来、独立心が強く、耕作は「自己責任」でなりたっている。だから、人の田にはおせっかいはしない。土がカサカサにひび割れた田が気にはなっても、親切心で勝手に水を入れたりはしない。人が入れている水を取水口で勝手に止めるのはタブーだが、水路の水を自分の田の方に引くのは自由。下流で誰が水を入れているかは特に気にしなくていい。一見、無秩序のようにも思えるが、水利組合という自治組織もしっかり機能して、渇水の年にはちゃんと調整機能を果たしている。
普通は悪い意味でしか使われない「我田引水」だが、農家にとってはそれが当たり前の大事な仕事。地域のことは行政がするものと思いこんでいたが、農家の「自己責任」の原則にたって「我田引水」のわがままを調整する水利組合のような組織が、もしかして本来の自治の姿のような気がする。古い集落の残渣のように思ってたけど、けっしてそんなことはなさそう。深夜に懐中電灯を持って取水に行くのも、独立自営の心意気。仕事で無理なら、収穫は諦めるしかない...。
前号からの農作業時間(6月15日から)
補植: 約2時間で腰が痛くなりギブアップ
水の管理: 3〜5日に一回、実働1回1時間未満。
(7月17日 平田)
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