この「ひと」を誉めよ!
《 中島美代子 》
中島らもが急に亡くなってビックリした。でも、誰に訊いても、「中島らもらしいいい死に方だった」という。ぼくは読売の夕刊で死亡記事を見たとき、悲しいという気持ちより、「これで中嶋らもは伝説になった」と思った。それからしばらく経って、ある人の葬式で中島らもファンの親戚の女の子に会ったら、二十歳代半ばのその娘が「らもちゃんらしいエエ死に方やったと思うわ」と言った。
中嶋らもは先月、7月15日(ワテの誕生日だした)の深夜に、飲食店を出る際に階段から落ちて全身を打撲、かなり酔っていたのだろう。そのとき頭も強打しており、神戸市内の病院に入院していたが、脳挫傷による外傷性脳内血腫のために、同26日午前8時16分に亡くなった。52歳だった。昨年の2月に大麻取締法違反などで逮捕され、5月に懲役10ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。
保釈後は「躁」で入院していたこともあったらしいが、精力的に活動を再開していた。しかし、死の直前は酒量が増え、常に酩酊状態だったという噂もあった。
今時の作家は、龍・春樹の両村上を筆頭にビジネスマン的な生活の人が多く、昔のような無頼派はほとんどいない。朝の10時に仕事場へ"出勤"して、夕方の5時までコンピュータに向い、夜は家に戻って家族と共に団欒、というような生活をしている人が多いらしい。アル中になったり、50歳にもなってマリワナを嗜むなんていう人は少ないだろう。
中嶋らものように、絵に描いたような"いかにも"イメージどおりの死に方なんてそうザラにあるものではない。公式ホームページに、中島らも夫人の次のようなメッセージが掲載されている。
突然のお別れとなり、皆さま、さぞ驚いていらっしゃることでしょう。 きっとらもも驚いて、そして多分「ふっふっふっー」と喜んでいると思う のです。 とても自分らしいお別れができたから。
らもは「おれはみんなの笑顔で生きているのだ」と白状したことがありま す。幸せだったんです。
今までどうもありがとうございました。 皆さまもどうぞ、笑顔の絶えない毎日をお過ごし下さいませ。
2004年7月28日 中島美代子
喪主(だと思う)の挨拶の最後の言葉が、「皆さまどうぞ、笑顔の絶えない毎日をお過ごしくださいませ」なんて、とっても素敵だとは思いませんか。こんなアッパレな死に方ができる作家もすごいが、夫の死に際してこんな挨拶ができる妻も立派だ。合掌。
(H) 2004年8月
|