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■ 82歳独身女と42歳独身女の介護バトル ◇◆◇◆◇
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■ ゆう
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叔母が脳硬塞で倒れて半年。一人暮らしで子どももない、家が近いということで、主な介護者は私となった。入院生活も一月ほどたち、急性期の治療を終えてリハビリ病院に転院しようかという頃のこと、叔母が「整理ダンスの下着を持ってきてほしい」と言い出した。さがしに行くと、引き出しに大学ノート。何だろうかと開いたページには赤ペンで囲まれた箇所があり、そこには私の悪口が綴られていた。「ゆうこに口ごたえされた。クソ生意気な。腹が立つ」
日記帳だ。そこだけ乱れた文字から、叔母の怒りが伝わってくる。
その日のことは、私もはっきり覚えている。秋も終わりのある日、我が家に夕食に招いた時のこと。寒くないかと気づかって訊ねても「大丈夫や」と言うので暖房のスイッチは入れなかった。私が歩けば10分もかからない距離だが、家まで車で送ると言っても「自分で帰る」とがんばった。
ところがその2日後にばったり道で出会った時のこと。開口一番、「あんたとこが寒かったから、風邪引いてしんどうて、もうワヤやわ」と苦々しい顔。「だったらストーブつけたのに。なんでそう言うてくれへんの」と私が返したのが気に入らなくて、日記にぶつける事態となったのだ。
他人様として遠慮するなら風邪ひいたって自己責任で引き受けるのが筋。言いたいことを言うなら、最初からそうすればいいものを、中途半端な遠慮をするからいけない。そんな言い方されたら、こっちだって気分が悪いんだけど、80歳を過ぎて今さら、性格が変わるわけでもない。
やがてゆく道、できるだけのことはしてあげたい。そんな当たり前の気持ちは持っているが、身内と言っても同居の経験もないし、思いやるにも叔母のこれまでの人生をよくは知らない。叔母は叔母で、長い一人暮らしですっかりわがままになっており、他人と協調することがほとんどできない。その上、今の福祉サービスについて知識も情報もまったくないから、介護保険だから選択だ、契約だなんて、そもそも成り立つ話じゃない。本人の気持ちを尊重するといっても、いろんな本音があるわけで、主な介護者、身元引受人として病院や施設から決断を求められる時のプレッシャーは大きい。
とはいえ、ぼやきながらも、けっこう学ぶことも多い。たまにお見舞いに来る親戚は、スポットでかかわるだけで、非日常だから優しく接することができる。でも、そのことに叔母が感謝するのを見ると、私は面白くない。
煮詰まった時に「なんとかしましょう」と、柔軟な対応をしてくれる地域のNPOはとても心強かったし、身近に理解者がいることはありがたい。両親は、今の福祉サービスの仕組みやメニューを少しは理解するようになり、私たち親子にはいいシミュレーションになっている。
制度はあってもお金も必要だ。遺言や終末期医療の自己選択と同じように、自分が介護される側になった時のことを考えておくことは、家族や身近な人にとって必要なことかもしれない。そのためには、知っておくべきこと、考えるべきことがたくさんある…。どれも体験してはじめて身を持って実感した。
叔母はと言えば、急速に物忘れがひどくなり、今日あったことも覚えられなくなってきた。幸い、いろんな人に支えられてリハビリしたおかげで、かなり自立できるようになったのだが、寝たきりだったことさえ覚えてないんだから、当然、感謝の気持ちは薄い。
「こうなったら、お世話料もらってやる!」「いやいや、いつまで続くかわからんのに、お金もらっても嫌や」などと勝手なことを考えながら、退院後の叔母の生活をどうしたものかと、あれこれ作戦を立てる毎日が続く。
(ゆう)
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