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■ 金の卵 ◇◆◇◆◇
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■ 卵のキミ
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昭和37年の春、中学を卒業したばかりの花子たちは、まだ3年A組、B組の気持ちを引きずって駅のホームに集まっていた。一緒に卒業した同級生数人が東京に向かう日。日本の経済発展を支える「金の卵」になるのだという。真新しいダスターコートを着た「金の卵」たちはスーツケースを下げてうつむいていた。奥羽本線はまっすぐ東京につながっている。集団就職列車が来る日だ。煙を吐く汽車と一緒に色とりどりの紙テープを持った仲間が走った。新聞にはいつでも「安保反対闘争」と「金の卵」の活字があった。あのころの中卒初任給は4,000円前後。鉛筆が1本5円だった。
東京オリンピックがあったのは、花子が高校2年の時。誰もが東京にあこがれた。大きなテストのたびに成績が講堂に張り出される。1点でも追い越せ、1点でも追い抜け、の雰囲気だった。大学合格者の名前と進学先も張り出された。成績がよいのに、就職する人もたくさんいた。女子の間ではデパートと銀行が花形。給料は7,000円まで。県庁所在地の日本銀行支店に決まった花子の初任給は9,500円でトップ。みんなにうらやましがられた。
高校卒業と同時に警察の機動隊に入った友人Yは、学生デモが憎いといってときどき花子に手紙をくれた。大学に入った友人Kは、親戚の者から「金食いムシ」と呼ばれながらも、より良い「金の卵」になりたくて学生デモには脇目もふらず勉強をした。卒業して東京に就職。40,000円の給料を貰い4畳半のアパートに住んだ。家賃は7,000円。もう「金の卵」とは呼んでくれなかった。
あれから何年? 右肩上がりの経済が、右「肩」を脱臼したのか、二度と「肩」は上がりそうもない。クラス会に出席すると、まぶしかった金の卵たちもそろって「老人クラブ」予備軍。機動隊だったYは、転職して、リストラの憂き目にあう。酔っぱらって吠えた。「なんだって娘も息子も結婚しないんだ。4人に1人が老人という21世紀なんか笑わせる。オレんちなんか、4人に2人がもうすぐ老人だぞ。さあ、長生きしてあいつらの『カセギ』を食ってやる。輝かしき金の卵の殻だ。見とけよ〜」
(卵のキミ)
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