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■ 熊本人の大阪人考 ◇◆◇◆◇
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■ 井上美樹子
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私の生まれ育った熊本には、「肥後のいっちょ残し」という地域のことわざがある。これは、宴会など大勢で食事をしていると、必ずといっていいほど、お皿の上に「ひとつ」残る状態のことを表している。例えば20人がいて、饅頭は10個しかないのに、何故か1つだけ残った状態で放置されているといった具合である。これは、一説によると、「熊本人の他人を思いやる気遣いや食べ物にがつがつしていないところ」を表す現象ともいわれるが、要は、熊本では遠慮を重んじる人が多いということだろう。それにしても、人々が、皿の上のたった1つの饅頭を気にしつつも、気にしないふりをしているというのは、実に滑稽な風景である。
私の大阪在住歴5年の間でこんな状況にはついぞお目にかかったことはない。大阪人には遠慮がないというわけではないが、遠慮を100%の美徳としがちな熊本人の考えとは、若干異なるようだ。遠慮の裏には、「ホントは○○したいけど……」といった本音を押し殺す一面があるが、大阪の場合、「本音を出す」「本音を出しても大丈夫」的な環境にあるように思われる。逆に言えば、大阪人が、「本音」を言葉にしたり、行動に移すことが上手であると言えるかもしれない。
同郷の友人には、「大阪人」を苦手とする人間もいて、その理由は、「自己主張が激しすぎる」とか「周囲の雰囲気を読まない」といったことらしい。私はあまり気にしないが、理解できなくもない。「遠慮しなれている」かつ「遠慮されなれている」熊本人にとって、「本音で話し、行動する」大阪人はなかなか受け入れにくいのだろう。
私は、むしろ大阪人の〈本音でトーク〉的な率直さが大好きで、問題なく楽しく暮らしている。こんな私は熊本人には「遠慮しない人」に映っているのかもしれない。そういえば、皿の上に残ったものを、最後に、「もったいないから食べます」といって平らげるのは、熊本でも、大阪でも、いつも私のような気がする。
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(井上)
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