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■ 「トリビアの泉」と選挙!?
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■ ☆☆ 本河 知明
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「トリビアの泉」というフジテレビ系列のバラエティ番組がある。視聴者から投稿されたトリビア(人生にまるで必要のない無駄な知識)に対して、5名の品評会メンバーがどのくらい「へぇ」と共感したかを、「へぇボタン」を押してカウントして評価。5名×20「へぇ」=100「へぇ」満点で獲得「へぇ」を競う。
最近この「へぇボタン」が発売された。同局の朝の番組を見ていたら、これを使って会社の企画会議をしているVTRがあった。会議で出されるアイデアに対して、メンバーが「へぇボタン」を押して合計点をカウントするというわけだ。
ところで、会議において議論を尽くしても合意が得られない場合、「投票」を行うことが多い。しかし「投票」と一口で言っても、さまざまな投票方法が考えられる。
たとえば総選挙みたいに、いずれかの選択肢に一票を入れる方法。または、複数票(固定数)を入れる方法。この場合、同じ選択肢にまとめて票を入れる(たとえば3票の持ち票があって、選択肢Aに2票、Bに1票入れる)ことを認める方法と、そうでない方法とが考えられる。また、同じ複数票でも、各自が選びたい選択肢すべてに票を入れられるという方法もある(最高裁の国民審査も、優劣や順位を決めるわけではないが、同様と考えてよいだろう)。もちろん、上で述べた「トリビアの泉」みたいな方法もありえるし、他にもいろいろ考えられる。
先日の総選挙の際、小選挙区の是非を問う発言はあっても、投票方法の是非を問う発言を私は聞かなかった。上で述べたように、投票方法はいくらでも考えられ、その優劣を決めることはできない。しかし実は、投票方法によって投票結果が異なるという事態が起こりうる(ここでは深く説明しない)。「社会としてどのような意思決定を行いたいか」によって、それに相応しい投票方法は異なるのだ。
現在の選挙の投票方法は、はたして相応しい意思決定方法なのだろうか?
(本河)
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