三反農家の米作りノート ◇◆◇◆◇
(最終回) 三反農家 しませんか?
稲刈りの後かたづけもすっかり終って、4月から連載させていただいた「三反農家」も今回が最終回。今年は全国で台風や、豪雨や、地震の深刻な被害が相次ぎ、あちこちの農地もかなりの被害を被ったようだ。土砂に埋まった水田の映像なんかがニュースで流れると、とても他人事とは思えない。自然の脅威に立ちつくす農民が、もし自分であったら、復旧なんぞ初めからあきらめて、都市への出稼ぎを安易に選んでしまうような気がする。
前々回に、三反農家の採算をもう少し考察したいと書いた。しかし考えるまでもなく、米作一反(10a)あたりの一年の収入額が15万円では、たとえ創意工夫で製造原価を1/3に抑えたところで、たかが知れている。わたしがもしフルタイムの農民になって近所の田を請け負っても、効率の悪い棚田の狭い田では、現在の4倍の12反(1.2ha)を耕作するのが精一杯ではないだろうか。それで年の所得は15万円×12×66%=120万円ほど。業(なりわい)としての米作りにはほど遠い。
昨年の政府の統計を覧ると、全国の米作農家約160万戸のうち、北海道を除けば、作付面積1ha以下の農家の構成比は77%、2ha以下まで範囲を拡大すると88%を占めるらしい。かっての富農も零細農家も、これでは今やどんぐりの背比べ。
かくして、「意欲ある」米作り農家は干拓地をめざす。干潟を埋め立てた広大な農地であれば機械化による効率化が計れ、2、3人の労働力で15haや20haの水田の耕作は可能なのかも知れない。でも、それでもカリフォルニア米やオーストラリア米と勝負できなければ、ただの一時しのぎで、そのために干潟を埋める意味もない。それで「今ある田畑はどうなるの?」 誰もが抱く疑問には誰も答えられない。
この難しい問題に、わたしには「名案」がある。ずばり「三反農家」の育成である。それも、補助金なんかを出す発想ではなく、ゴルフや登山や海外旅行にお金を使うように、米作りを趣味としてできる環境をつくればよい。趣味である以上、飽きたらすぐに止められることも重要だ。農地の取得に退職金を注ぎ込んで「定年帰農」しても、病気で働けなくなったら元も子もない。簡単に農地が貸し借りできて、入るのも出るのも自由という環境がないと、やはり二の足を踏んでしまう。
米作りの世界では60歳代は現役ばりばりである。都会の人が米作りに参加すると、当然、夏場の草刈や、田植え、稲刈りを手伝うサービス業も地域に生まれるだろう。田んぼ付き別荘とか、三反の水田付き分譲住宅・賃貸住宅という需要も生まれるかも知れない。地域の活性化にも繋がる。
こういう発想は荒唐無稽な冗談のように聞こえるかも知れないが、近所の市民農園で熱心に野菜を作っている人たちと親しくなるにつれ、システムさえ整えば充分に実現可能な方法のように思う。少なくとも、多額の税金を投入して「意欲ある農家」を育成したものの、やっぱり国際競争は無理でしたというよりは、ずっとましだろう。
かく言うわたしは、あこがれの晴耕雨読の年金暮らしには、まだまだ年齢もほど遠く、さあまた来年、「本業はどうすっぺ?」と悩みながら米作りを続けます。まあ、今年もなんとか作れたし...。
皆さま、よいお年を!
(2004年12月 平田)
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