三反農家の米作りノート ◇◆◇◆◇
(1) 初めに
大阪市内から郊外に向かう電車に乗って車窓に目をやると、どの方向に向かっていても、15分もすれば稲作の水田が目に入る。都市の近くではマンションや建売住宅に挟まれたみすぼらしい農地だが、もう少し離れると気持ちがよさそうな田園地帯が広がる。周りの環境はさまざまだけど、テレビニュースや雑誌で目にする新潟や富山のきれいに区画整理された大規模な水田とは違う。多くは昔ながらの地形に沿った変形農地で、一枚一枚の田は広くない。素人目にも大規模経営に向くとは思えない。
わたしは農家の生まれなので、会社勤めの通勤電車でも、出張で列車に乗ってても、「あっ、もう苗代作ってる!」とか、「ここは稲刈りはもう終わってんなあ」とか思いながら車窓から農地を眺めるのが好きだった。でも一方では、「お前は跡取りなんやから、…‥」と言われて育ち、大学に入る頃には「俺は跡は継がんから姉ちゃんの子に継がしてくれ」と皆の前でとっくに宣言していた。
そんなわたしが、70歳になっても黙々と二人で米を作り続ける両親を見かねて、十年前に実家の近くに引っ越してきた。勝手に身代わりにした甥っ子は五年生の時にガンで死んでしまっている。農繁期と夏場の草刈りだけを手伝う自称「作男」時代がしばらく続き、やがて父の体力の衰えとともに「小作人」的立場に昇格、ついには両親の死去で農地を相続して「自作農民」「兼業農家」へと昇格した。
人に話すとほぼ100%「いいですねえ、うらやましい」という感想が帰ってくる。多くは農作業への好意的なあこがれ、時には「土地売ったら働かんでも左うちわやね」という大きな誤解! 「うーん、それがね、、」と言いたいことは山ほどあるけど、やっぱり「お気楽」であることも事実。なかなか兼業農家の悩みは分かってはもらえない。
昨年、初めてたった一人で三反の稲作をし、1,500キロの玄米を収穫した。金額にして約40万円ほど。味もよし! 結果としてはかなり上出来! しかし、いざ自分でやってみて、肥料の量から水の管理まで、実は何にも知らないことに初めて気が付いた。トラクターや草刈機の操作はそこそこ人並みの腕だけど、田に入っての肥料撒きや草取りを実は去年まではしたことがなかった。
他の事情もあって本業の収入も激減したが、まだ晴耕雨読を決め込む歳でもない。いつまで兼業農家を続けられるかなあと悩んでいる頃、ふと「市民ライター通信」に書くことを思いついた。農作業をして感じたことを交えながら零細兼業農家の米作りを報告する。書くことを励みにすれば、続けられるかも知れない。
そんな訳で、今号からリアルタイムでわたしの米作りを連載させていただくことになりました。「書くのは人のためならず」です。だけど、ぜひ、ご一緒に稲作の疑似体験をしてください。去年は人の真似をするのが精一杯だったけど、最後には独自性を発揮したくなって、秋にレンゲの種子を蒔きました。わたしの田では今レンゲの花が満開です。
(平田)
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