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■市民ライターどんどん ☆彡
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■ あべのの市民の広報誌 ちゃお(あべの) 博野英二
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■ 書くことによる社会の創造 ■
博野 英二
●市民ライター養成講座には、以前一度だけ、メルマガの書き手の一人として、参加させてもらったことがある。そしてたくさんの人々が、市民ライターとして「書き、伝えるのだ!」という熱気をもっておられたのに驚いたことを覚えている。しかし私たちはなぜお金にもならないのに、「書く」のだろうか。そしてこれは本当に「社会参加」や「社会を変えること」につながっているのだろうか。
●私たちは日常、新聞や雑誌、そしてメルマガなどから多くの情報を得ている。そして例えば新聞に報道された恐ろしい事件について話し合い、「怖い世の中になったね」と社会の現状について、ある種の像を共有していく。こうした時の私たちは、ある意味では「社会」を与えられる立場だ。社会はすでにあるもので、こうした「社会」に身をあわせるために、どのようにすべきなのかを考えているからだ。こうした時にでてくるのが、社会への適応という課題、つまり社会にどのように「身を合わせるか」という課題だ。
●しかし私たちが「書く」とき、特に外からの要求ではなく、内面の要求に促されて書くとき、事情はまったく異なってくる。私たちは、何かについて真剣に「書くこと」によって、その出来事を咀嚼し、考え、自分の奥深い価値観と照らしあわせ、その意味をつかもうとする。この時、「書く」人は単に外から意味を与えられる受身の存在ではなく、自らが出来事に対し意味を付与する能動的な存在になっている。
●そして、こうして「書かれた」文章が他者に向けて発信され、そしてその文章が表現している意味世界が他者によって共有されたとしよう。そこにはこれまでには存在しなかった新たな人間の相互作用とつながりが生まれ、まったく新しい世界観が、つまりは「社会」が生まれている。つまり書くことは「社会参加」や「社会変革」を可能にするというよりはむしろ、「社会創造」という作業なのではないだろうか。
●私はいま、地域通貨活動や、市民活動の協働プロセスに興味を持ち、メルマガを発行し、市民活動に参加している。しかし振り返ればいまの活動は、私が身の振り方を悩む時期に、いろいろな文章を書きなぐる中で培われた価値観に、動かされている部分が大きいと感じる。そしていま、メルマガというツールの登場で、私たちは簡単に考えをみんなに伝えることができるようになった。みなさんも、書くという作業を通じて、能動的な「市民」になってみませんか?
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