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    救急車を呼ぶ前に

平田泰史

 身近な人が突然倒れて、救急車を呼んだ経験はありますか?
 わたしの場合は三回、倒れたのはわたしの親父。

 7年間に3回救急車に来てもらって、やっと分かった「呼ぶ前の心得」がある。

 持病があって年に何度もお世話になっている人にはたぶん必要はない。まだお世話にはなってないが、将来、予期せぬ時に身近な人が倒れる可能性を否定できない人は、ぜひ、覚えておいていただきたい。それは何かというと、救急車を呼ぶ前に必ず「行き先」を決めておくこと。

 家族のために初めて救急車を呼ぶ時は、ともかくあわてて119番に電話する。電話に出た相手から「火事ですか、救急ですか?」と聞かれる。「落ち着かなくっちゃ」と自分に言い聞かせながら、できるだけ冷静に住所や症状を伝える。うまく伝わったので一安心。救急車が来て、病人はストレッチャーに乗せられて救急車の車内に運び込まれる。「どなたか付き添いでご一緒に」と救急隊員に促され、「ハイ」と答えて病人の横に乗り込む。

 「どこの病院に運べばいいですか?」そこで初めて聞かれる。「えっ!」、まったく心当たりがないことに気が付く。

 「いえ、あの、急だったもので、特には...」
 「○○病院でいいですか?」
 「あ、はい。お願いします。」
 この返事が、その後の入院生活の明暗を分ける境目となる。

 わたしの場合はひどかった。二回も続けて同じ失敗をしてしまった。

 高血圧気味だがそこそこ元気な父が二回目に倒れたのは、その○○病院の近くの鍼灸院だった。どうも脳梗塞が起こったようだ。電話で呼ばれて駆け付けたわたしは、鍼灸院から救急車を呼んでもらい、また「○○病院でいいですか?」 一瞬不安がよぎったが「ハイ」と答えてしまった。父は意識もはっきりし、目も見えるし口もきける。脳卒中でも軽い部類のようだった。早く治療すれば元に戻るかも知れない。近さで決めた。他に当てもなかった。

 早速MRIやらCTスキャンの検査があり、ICU(集中治療室)に入れられて点滴が始まった。ICUなので付き添いはできない。面会は午前と午後の2回、しかも近親者のみと説明された。まあ仕方がない。

 異変は翌日から始まった。午後の面会に行った姉から電話があり「お父ちゃんの言うことがおかしい」と言う。次の日の朝に母が行き、やっぱりおかしい、ぼけてると言う。午後にわたしも行ってみた。すでにまったく支離滅裂になっていて、いくら説明しても自分が入院していることを信じない。

 いくら治療でもぼけられたら困る。早速、担当医に面会を申し入れたら夜になって会うことができた。症状を説明したら「ある程度は止むを得ない」と言う。納得できないまま家に帰って妻の従兄弟の内科医に電話で相談した。彼は「すぐにICUから出した方がいい」と言う。高齢者に多いICU症候群という症状らしい。脳梗塞の治療にICUまでは必要ないことも教えられた。

 翌日、あらためて医師と面談し一般病室に移してもらうように頼んだ。ベッドの空きがないとの返事。父は前日より更にぼけていた。それでは別の病院を紹介してほしいと頼みこむと、しばらくして特別室なら空いているとの返事が返ってきた。バス・トイレ付の個室らしい。

 義従兄弟のアドバイスでは、ぼけ対策としては、起きている時は絶えず話しかけて一人にはしないのが一番とのこと。それなら個室は好都合と、母と相談して、昼は家政婦さんを雇い、交代で昼夜付き添いすることに決めた。病室に移って看護婦さんにその希望を伝えると、「『完全看護』でその必要がないから面会だけにしてください」とあっさり断られてしまった。

 「大丈夫かいな?」とか言いながら父を残して帰る。大丈夫どころではなかった。翌朝、母が病室へ行くと、父は両手両足を包帯でベットの手すりに縛られ、点滴されながら一人もがいていた。点滴液は中で漏れて腕が腫れている。看護婦が来て説明するには、昨夜、自分で尿の導管を外してシーツを汚し再装着を嫌がってあばれたらしい。点滴も自分で抜こうとするので、やむなく縛ったと。

 母に呼ばれてわたしも病院に駆け付けて、家に帰ると言い張る父を説得した。なんとか病気であることを納得させたものの、尿の導管はどうしても嫌だと言う。わたしも無理にはそれは言えなかった。

 実はそれには訳があった。父が数年前に近所のお寺で倒れて1回目の救急車のお世話になったとき、同じ○○病院に3日間だけ入院した。その時に尿に導管を挿入されて以来、退院しても自分で排尿のコントロールが難しくなって、しょっちゅうズボンを濡らすようになった。周りから「もう歳やから」と慰めを言われるたびに、「あの時、勝手に管を入れられたからや」と反論していた。

 結局、今回は尿の導管を断り、おむつで対応してもらうことになった。どうもこの時点で「扱いにくい患者」のレベル3ぐらいに上がったようだ。昼間の付き添いも認めさせた。

 またすぐに問題が発生した。便秘を気にしていた父は、夜中に自分で個室内のトイレに行ったらしい。夜間の巡回の看護婦が患者がいないことに気が付き、大騒ぎのあげく、トイレ内で発見された。もう完全に「扱いにくい患者」レベル5、レッドカード発行となった。母は翌朝行ってこっぴどく看護婦にしかられたようだった。わたしが行くと、今日は夜まで自分が付き添いするから、お前は急いで転院先を探せと言う。こんな思いをするのはもう嫌だと悔し涙を流した。

 早速、義従兄弟に電話して転院先の手配を頼んだ。ちょっと遠いが文句は言えない。ところが意外な返事が返ってきた。まだ発病から一週間も経っていない。車での移送はリスクが大きすぎると言う。あちゃ、参った。今度は母を説得しなければならない。

 さいわいなことに、母はちょっと落ち着いたのか転院を諦め、病院には勝手に交代で病室に泊まることにした。レッドカードがどす黒くなってブラックカードになろうと知ったことじゃない。再三要求したらやっとおまるも出てきた。小便と言われれば尿瓶をあてがい、大便と言われればベットから起こしておまるに座らせた。点滴の間は手を握り続けて話しかけた。ICUの完ぼけ状態から、大ぼけ、中ぼけと次第に話しがかみ合うようになり、希望も少し見えてきた。

 病室に滞在する時間が増えて、どうもこの病院はおかしいことに気が付いた。まるで軍隊のように階級がある。雲の上にいるのが医師、その代理が白衣の看護婦、更にピンクの制服をきた介護助手のような人がいる。その介護助手さんが、毎日数回病室に来て、シーツの交換やおむつの交換、部屋の掃除をしてくれる。看護婦さんは体温を計って点滴をする。一度、点滴をセットしたら2時間近くは現れない。点滴が漏れてたら、こちらから行って頼まないと来てくれない。一度だったが、二人の介護助手さんがちょうどシーツを交換しているところに、若い看護婦さんが入ってきた。おまるの周りの床はつい先ほど父が漏らした尿で濡れていた。「何よ、この床!早く掃除して次の部屋に行って!」と厳しく中年の介護助手を叱咤した。

 雲の上の医師にはめったにお目に掛かれない。病院は毎日往診があるものと思って、泊まった翌日に昼まで待っても医師の往診はない。看護婦さんに聞くと「ああ、また来られると思いますよ。先生は毎日カルテはご覧になってますから」と言う。

 そんな日が続き、病院の母から朗報が届いた。看護婦さんにリハビリシューズを用意するように言われたと言う。てっきりリハビリシューズを買って来てという話しかと思ったが、そうではなかった。退院させるから先生にそれを言いに来てほしいだった。早速、病院まで行き、看護婦さんに先生との面会を申し入れた。用件を聞かれて言うと、リハビリがいかに大事か、かってない熱意で説明してくれた。それでも退院をと答えると、先生に伝えると言う。しばらくして、「先生から退院の許可がでましたよ」とその白衣の天使のメッセンジャーが伝えに来てくれた。先生は来なかった。

 まあ、こうしてともかく父は家に帰った。この時点では私も母も、本人が悪いんやからしゃあないと思ってた。これで終われば、ここに書くようなことでもない。

 そして2年が経ち、また父が今度は家で倒れた。救急車を呼ぶにも近くの○○病院ではブラックリストにきっと載っている。もう二度とあんな惨めな思いをするのは嫌だ。義従兄弟のコネが効く病院は遠い。しかも土曜の夜だった。ダメもとで隣の市の××病院に電話した。当直医は偶然にも脳外科だった。受け入れましょうとの返事をもらい、それから119番に電話した。ちょっとわたしも賢くなっていた。

 「○○病院でいいですか?」「いいえ、××病院へお願いします。病院の許可はもらってます」。救急隊員の意外そうな顔を見て、めったにないリクエストなんだと分かった。

 父の病状は前回よりはるかに深刻だったけど、××病院では「目からうろこ」の毎日だった。昏睡状態の父だったが、尿の導管はしない。聞くと、「元気になって退院された後が大変ですから」との返事。夜間でも3時間に一回は看護婦さんが体位の変換に来る。「たった一日二日でも床擦れが出来るんです」との説明。点滴すると漏れてはいないかしょっちゅう見に来る。おむつの交換も体を拭くのも、すべて看護婦さん。昏睡状態の父にいつも話しかけている。先生に面会を申し込むと、すぐに「何時なら会えます」と返事が来る。ここではこれが医療の常識らしい。

 ○○病院でのあの苦労は何だったんだろう。付き添いに疲れて家で交わす冗談は○○病院の話し。

 「やっぱり主治医決めて、いざとなったらすぐ入院できる病院を確保しとかなあかんなあ」
 「病気でもないのにどうやって病院予約しとくの?」
 「そうか、最後の力を振り絞って救急隊員に希望を言うしかないな」
 「そうや!ええこと思いついた!いつも首から札を掛けといたらええ」

 救急隊員の方へ
 お願いですから○○病院には絶対に連れて行かないでください。

                            (平田)
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