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    市民のための情報発信考 〜ムダは共感の種!?〜

本河 知明

 先日、『107+1〜天国はつくるもの〜』(http://www.tentsuku.com/)というドキュメンタリー映画を観た。住むトコなし、お金なし、知識なし、経験なし、自信…?、というナイナイづくしのド素人たちが、「死んでから天国にいって幸せになってもしょうがない、生きている現在を天国にしてしまおう!」と、三つの挑戦をする。

 冷静な思考力を持っている大人なら「そんなことして何の意味があるの?」「そんなことしたらトラブルだけじゃん!」と思うような場面が多々ある。四人で一緒に観ていたが、そのうち二人の感想はそんな感じ。でも、私ともう一人は、けっこう楽しんで観ることができた。一見、ムダと思える行為の中に、人間の真実が浮かび上がることがある。お笑い的な要素と社会的メッセージは必ずしも相性は悪くない。ストイックな市民活動家にはそれが物足りなく映るかもしれないが、マイケル・ムーアあたりはうまくいっている好例だろう。

 お笑いだけではない。本来、アート全般と市民活動は相性がいいはずだと思う。“自分発”で始まるボランティア活動、社会的な活動、政治的な活動は、言ってみれば“自己表現活動”でもある。ミッションに向かうプロセス、表現方法は自由なはずだ。

 ところが、長年そういう活動を続けていると、表現方法がワンパターン化してしまっているケースが多い。チラシのレイアウトなんかもそういう例だが、典型的なのはデモだろう。黙って見過ごすことが社会的犯罪を増長させるという「破れ窓理論」的観点から考えて、もちろんデモ自体に意味はあるのだが、ワンパターン化したデモは、無関心層の無関心を増長させるだけにしかなっていないのでは?と危惧する。デモをすれば、一瞬は周囲の人の気を引く。しかしその後、「ああ、デモか。“また”やっている。うざったい。あれは変わった人たちがやっていること。“私には関係ない”」。

 トレンドの移り変わりが速い今の時代、市民活動側も表現方法を凝らないと、新たな関心を引きつけることは難しくなっている。また、ワンパターン化は傍目から見ると“多様性がない”と映り、自分とは接点がない無関係なグループとしてインプットされる。誰もが自分自身のことをワンパターンなどとは考えていないからだ。そして、いったんインプットされると、そこで思考は停止する。

 必要なのは、“共感される余地を作ること”ではないだろうか。

 文章を書く場合も同じである。お店を取材して、そこの販売促進のための商業用原稿を書く経験をしたことがあるが、その際に難しかったのは、事実(たとえば、“○○が△円”とか)と事実を点でつないで文章を書くだけではダメだということ。一年前まで大学院生として、論文などの文章に慣れていた私にとって、それはちょっとしたカルチャーショックだった。論文の場合、解釈が多岐にわたっては困るわけだから、事実と事実を論理的につなげる、ただそれだけだ。しかし、商業用原稿の場合、事実と事実の間にいろんな装飾語を織り交ぜ、点ではなく面に広げるという作業が必要だと感じた(抽象的ですみません…)。書き手が伝えたいイメージ(面)と受け取る側のイメージ(面)とがうまく重なったとき、いい文章になる。そんな感じがした。点を面にすることで、受け手が共感する余地ができるのだ。

 同じことは、市民活動側の情報発信にも言えると思う。物質的に豊かになった今、多くの人たち、特に若い人たちは“共感”を求めている。その“共感”の種は、実は一見ムダと思えるものの中にあるかもしれない。

(本河)

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