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市民ライターのキモ 〜 その真実と技術
         2006年3月20日
                              

(26) 文章の「起承転結」について
                                      吐山継彦


 「起承転結」とは、もともと漢詩の句の並べ方のことである。「起句でうたい起こし、承句でこれを承(う)け、転句で趣を転じ、結句で結ぶという形式。(『スーパー大辞林』)」である。そこから、文章の構成や物事の順序のあるべき姿として考えられるようになった。

 うちの父親は若いころから俳句を嗜み、一応「俳人協会」の会員だったが、よく「起承転結、行きて帰る心」と呟いていた。ぼくは詩歌に関しては浅学菲才で、このフレーズがうちの親父のオリジナルなのか、それとも芭蕉あたりの言葉なのか知らないが、文章を書いていて「なるほどそうだ」と思い当たることがよくある。

 文章は、書き起こし、先へ先へと進んで行き、結局もとへ戻ってくる。還言すれば、「起」で主題を提示し、「承」と「転」でそれを敷衍し、「結」でまた主題へ戻って結論づける、ということではないかと思う。

 英語の小論文なんかはよく、(1)イントロダクション(introduction導入)、(2)ボディ(body本論)、(3)コンクルージョン(conclusion結論)、という言い方をされるようだが、日本式に言えば、「承」と「転」の部分がボディに当たる。そのように考えると、ほぼ同じことだと言えるのかもしれない。しかし、英語式の言い方は一つの文章の当たり前の構成要素を表現しているだけで、起承転結のように構成の仕方(方法)にまでは言及していないとも言えよう。「承って、転じる」という部分は、非常によく考えられており、朝日新聞の「天声人語」や読売新聞の「編集手帳」を読んでいると、きれいに起承転結が守られている、と感じることが多い。

 どこで聞いたか、何かの本で読んだのか記憶は定かでないが、野口雨情による童謡「シャボン玉」の歌詞が起承転結に対応しているという。

(起)シャボン玉 飛んだ 屋根まで 飛んだ
(承)屋根まで飛んで こわれて 消えた 
(転)シャボン玉 消えた 飛ばずに 消えた 
生れて すぐに こわれて 消えた 
(結)風 風 吹くな シャボン玉 飛ばそ

中山晋平作曲、野口雨情作詞によるこの名作童謡は、雨情の幼い娘が急死し
た悲しみを歌ったものだという。シャボン玉は、もちろん幼子の生命の象徴であろう。

「起」では、シャボン玉が生まれて屋根まで飛んでいった、という誰にでも 馴染みのある光景が歌われている。この歌(詞)は大正9(1920)年の発表だから、屋根といってもとても低いものだったはずだ。「承」においては、起句で屋根のあたりまで飛んで行ったシャボン玉が音もなく割れてしまった様子が語られる。そして、「転」では、シャボン玉(幼子の命)が生まれてまだそれほど年月も経っていないのに消えてしまった悲しみが、「消えた」という言葉を3回も使うとともに、「飛ばずに」と「こわれて」という言葉に悲しみをこめて切々と歌われている。最後は、「結」で、すべての小さな命が健やかに育つようにという祈りが、「風 風 吹くな」というフレーズにこめられ、(みんなで)シャボン玉(幼子の命を)と飛ばそう(育もう)よ、という願いとしての結論が導かれているのである。

 このように読み解くと、「シャボン玉」は、子どもの遊びの一つを歌ったただの童謡ではなく、深い悲しみがこめられたエレジー(悲歌・挽歌)であるとともに、成長への祈りがこめられた生命の賛歌であることが分かる。歌詞として、構成がとてもしっかりしている。

 ただ、起承転結に拘泥しすぎるのはよくないと思う。もともと漢詩の決まりごとだったわけで、非常に規則的なスタイルだから、そのことばかり気にしていると、文章が書けなくなってしまう。そうなっては元も子もないから、起承転結をたえず念頭に置きつつも、小論文などは、短く結論(仮説)から先に書いて、そのことを順番を追って論理的に実証していく、といった書き方が一般的なスタイルである。何にしても、書き起こし、書き継ぎ、書き終わる、というのは文章の当たり前の姿だから、そんなに起承転結を気にすることもないのではないか。

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