市民ライターのキモ 〜 その真実と技術
吐山継彦
(8) 「"リライト"とは何か」(1)
●フリーライターの世界で「リライト料」というと、安いものと相場が決まっている。つまり、オリジナルな原稿に比べると、3分の1、ひどい時は、10分の1の値段を付けられる。ここにあるのは「リライト蔑視のオリジナル信仰」である。
●ただ、ライターは小説家や詩人と違って、純粋にオリジナルな原稿を書くことは少ない。自分の頭の中だけで想像した文章を書くよりも、どこかに材料が提供されていて、それを加工、換骨奪胎してリーダブルな(読んで面白い)原稿に仕上げることのほうが多いのではないだろうか。
●"リライト"というと、ふつうは粗い原稿、ヘタな原稿をポリッシュして(磨いて)読者に対して親切で読みやすい原稿に仕上げる行為を意味することが多い。しかしよく考えてみると、与えられたテクスト(原文)に対して推敲を加えることは、全てリライティング(書き直し)の範疇に入るのではないだろうか。
●例えば、誰かにインタビューした内容をテープ起こしした原稿(テクスト)は、もちろんそのままでは完成原稿たりえないから、削ったり、剥がしたり、付け加えたり、言い換えたりするわけで、それはまさにリライティングなのである。
●ところが、この行為はあまり正当な評価を与えられていないと言えよう。実はライターにとって、オリジナル原稿とリライティングとどちらが難しいかと言えば、私は躊躇なく、リライティングのほうだと答えたい。
●なぜなら、オリジナルな原稿は気分的に楽しいし、好き勝手に書けるわけだから、精神的負担がずっと軽い。それにオリジナル原稿はある意味で書くのも簡単である。 だって、自分の論理や感覚を使ってで書き進めたらいいのだから、これほど書きやすい原稿もないだろう。勿論、創造(オリジナリティ)への産みの苦しみっていうのもあるけどね。
●でも、リライティングはそういうわけにはいかない。所与のテクストがあるうえ、それを何としても活かし、なおかつオリジナルのテクスト以上のものにしなければならないのである。これはシンドイし大変難しい。
●今回から何回かにわたって「リライト論」について書いていきたいと考えているが、私の主張はたったひとつ、「リライトもまた、オリジナル同様ソーゾーテキ(創造的&想像的)である」ということなのだ。次回は、テープ起こしをリライティングという観点から考えてみたい。
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