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市民ライターのキモ 〜 その真実と技術
         2005年12月20日
                              

(23) 句読点について
                                      吐山継彦
                                                

▼広辞苑によると、句点(。)とは「文の切れ目に打つ記号」、読点(、)は「一つの文の内部で、語句の断続を明らかにするために、切れ目に施す点」とある。つまり、どちらも文の切れ目に打つもののようだ。しかし、句点と読点の使い方に決まった規則があるわけではないので、個々のライターの恣意によって、さまざまな使い方がされている。古文書などを見ると、まったく句読点のないものもある。

▼句点は、基本的に文の終わりに打つものだから、分かりやすい。ただし、単語の後に打つ場合もある。例えば、「美しい。彼は登紀子を見てそう思った。」とか「金沢。それは登紀子が死ぬ前に一度は訪れたいと思っていた土地だった。」のような場合である。どちらの文も、句点を読点に置き替えて、「美しい、彼は登紀子を見てそう思った。」「金沢、それは登紀子が死ぬ前に一度は訪れ
たいと思っていた土地だった。」としてもそんなに変わらないようにも思える。

▼しかし、よくよく見てみると、句点を使ってあるほうが「美しい」という形容詞と固有名詞「金沢」の独立性が際立って、印象が強くなるのではないだろうか。読点だと、「美しい」と「金沢」が文の中に吸収されてしまい、句点を使うほどのインパクトは感じられない。以上のことから、句点は強い切れ目、読点は弱い切れ目を表わすことが分かる。

▼そこで読点だが、本当に人によって千差万別である。むやみやたらに使う人
もいれば、ほとんど使わない人もいる。しかしどちらかというと、最近の傾向は「多め」ということになろうか。とくに広告コピーなど、不特定多数の人に読んでほしい商業用の文章には多用されている場合が多い。たとえば、アエラに載っていたオンワード樫山の男性洋装品ブランド『五大陸』の広告記事を見てみよう。

▼「シルエットは、オーソドックスなボディラインを基本に、ヒップや膝の位置が高い、美脚要素を備えたパンツを組み合わせることで、よりスタイリッシュなイメージに仕上げている。」 いかにも広告コピーらしいカタカナの多い文体だが、読点を全てなくすと、「シルエットはオーソドックスなボディラインを基本にヒップや膝の位置が高い美脚要素を備えたパンツを組み合わせることでよりスタイリッシュなイメージに仕上げている。」となる。やはりこれはちょっと読みにくいかもしれない。

▼読点がよく打たれる場所は、主語や主題の後、名詞を修飾する長い形容句や、形容詞・副詞・動詞を修飾する副詞句の後である。例文の最初の読点は主語の後、二番目と四番目は副詞句の後、三番目は形容詞句の後である。読点とは、名前の通り、読み易さを考慮して打つものだから、修飾関係が長くなる場合、文が複雑になってしまうので、所々に切れ目を入れてやるほうが読者に対して親切である。

▼主語の後に必ず読点を打つ人もいるが、文自体が極めて短い場合は、何かの効果を狙う以外は打たないほうがよいと思う。例文で「シルエットは」の後に読点があるのは、シルエットが文全体にかかっていく主語だからである。読点がないと、「シルエットはオーソドックスなボディラインを基本にしたものである」とだけ読めてしまうかもしれない。

▼「京都は私の故郷である。」「京都は、私の故郷である」「京都。私の故郷である。」これら三つの例文は、句読点の打ち方が異なるだけで、基本的な意味は変わらない。しかし、イメージはずいぶんと違う。ふつうのレポート文の場合、最初の文が無難であろう。

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