市民ライターのキモ 〜 その真実と技術 2005年6月20日
(17) 漢字と仮名のバランス
吐山継彦
漢字と仮名のバランスはどちらが多すぎても困る。やたらと難しい漢字が多い文章は、衒学(ゲンガク=学問のあることをひけらかし、自慢する)趣味が嫌味なだけで、市民ライターには向かない。しかし、仮名ばかりが多い文章も、読み手を馬鹿にしているようでぼくはあまり好きにはなれない。
学者で、仮名の多い文章を書くことで有名なのは文化人類学者の梅棹忠夫さんだ。例えば次の文章を見てもらいたい。
1.「子供のころ、わたしは、たくさんの神さまといっしょにくらしていたようです。台所のかまどの上には神だながありました。よくわからないんですが、何種類かの神さまがならんでいたようです」(『美意識と神さま』梅棹忠夫著 中公新書)
これをできるだけ漢字を使った文章に直すと、次のようになる。
2.「子供の頃、私は、沢山の神様と一緒に暮らしていた様です。台所の竃の上には神棚が在りました。良く分からないんですが、何種類かの神様が並んで
いた様です」
1.と2.を比べると、2.のほうが理解しやすいと思いませんか。漢字は、表意文字だから、視覚的に意味が分かりやすいのです。もちろん、竃(かまど)というような漢字は最近、読める人が少なくなったから、使わないほうがいいとしても…。
ぼくなら、次のように書くだろう。
3.「子どものころ、私は、たくさんの神様といっしょに暮らしていたようで
す。台所の釜戸のうえには神棚がありました。よく分からないんですが、何種
類かの神様が並んでいたようです」。1.と2.の折衷案というところだろう
か。
現在の文章の一般的な傾向は、仮名多用の方向へと流れている。なぜなら、広
範な読者層を想定した広報の文章は、中学生が読んで分かるものにする、という暗黙の了解があるからだ。しかし、大人のなかにも「苺(いちご)」が読めない人もいれば、「憂鬱(ゆううつ)」という漢字が平気で書ける人もいる。だから、漢字と仮名のバランスは書き手の嗜好しだいなのだが、市民ライターとしては、誰もが読めるような漢字は使ったほうが読みやすいし、衒学趣味はできるだけ避けて、中学生が読めないと思ったら、仮名にするか、ルビをふるかするほうがよいだろう。
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