市民ライターのキモ 〜 その真実と技術
吐山継彦
(3) 市民ライターはレイ・エキスパート
●市民ライターという言葉は、最初そんなに大袈裟な意味を込めていたわけではない。語呂がいいし、他のライター講座とは違う、ということを言いたかったので、ライターの前に「市民」をつけた。もちろん、市民プロデューサー(「市民プロデューサー養成講座」)という言葉がすでにあったから、それに倣ったということもある。
●しかし、過去の講座の受講生に訊いてみると、市民ライターという言葉に惹かれたという人が結構いる。命名者としては嬉しいのだが、そうなると、「市民ライターとは何ぞや?」ということを考えたくなるし、受講生からも何人かからそういう質問があった。
●「市民ライター」という言葉を聞いて、どんなイメージが浮かぶだろう。素人ライター、ボランティア・ライター、市民活動関係のライター、タウン誌などのライターなどなど。たしかに「市民」という言葉にはある種の素人性があるように思う。つまり、専門家ではない人、門外漢というやつだ。
●ぼくはこの"素人性""門外漢性"というのが結構重要だと思っている。専門家やプロと称する連中は、ともすれば素人を馬鹿にするが、専門家やプロのクライアント(顧客)は大部分が素人である。法律の専門家である弁護士のクライアントはほとんどの場合、法律の素人である一般市民だし、政治家のクライアントは有権者としての市民だ。もちろんライター(記者、作家)のクライアントは読者という素人であり、一般市民なのである。
●今という時代は、専門家(エキスパート)と同程度の知識や情報を有するlay(レイ=素人)、すなわちレイ・エキスパート(lay-expert)の存在が重要になってきていると思う。あまりにも専門分化している社会の諸分野に、レイ・エキスパートが入っていくことによって公開性・信頼性が高まったり、専門家の専横が緩和されるという効果があるからだ。
●例えば、原子力発電装置の不具合について東京電力がダンマリを決め込んでいた事件があったが、あれなどはレイ・エキスパートが何らかの形でチェック体制に参加していたら…と思った。というのは、作家の高村薫さんに取材した時、原子力発電所が侵入される『神の火』という作品について「あんな技術的に高度なことはどうして勉強するのですか?」と訊いたら、「原子力発電の技術なんて、何十年も本質的なところは変わっていないから、市販の技術書を読めば私のような素人でも充分理解できるんですよ」という意味のことを言われ、大変感心したことがあった。
●もちろん、高村さんと同じようなことが誰にでもできるとは思わないが、ライターというのは多少なりとも、取材によって、自分の全く知らないことを理解しようと努める存在だ。例えば、警察を取材してレポートを書く場合、取材期間や発表媒体の質などの問題はあっても、かなり警察について知ることになる。完全なエキスパートにはなれなくても、警察という組織が持つ問題点ぐらいはすぐに指摘できるようになる。このことが重要なのだ。
●何かについて書くことは、その何かについてかなり詳しく勉強し、情報を得、分析することだから、市民ライターは必然的にレイ・エキスパート性を獲得するにいたる。本来、ジャーナリスト(ライター)の大きな役割の一つは権力の監視だと言われている。市民ライターもまた、発表する媒体の大小の違いはあれ、一種のジャーナリストなのだから、そのレイ・エキスパート性を発揮して、主流や権力を"批判"することも重要だし、創造的な"提言"をすることも大切だろう。
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