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■市民ライターどんどん ★彡☆彡
□ 大阪ボランティア協会 『Volo』編集部 影浦弘司
■ http://www.osakavol.org/volo/
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■ ○×周年に立ちあうとき ■
06年7月、大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌『Volo(ウォロ)』が、創刊40周年を迎えた。 40年前と言うと1966年=昭和41年。この年の7月、ウォロの前身である『月刊ボランティア』の第1号が産声をあげた。筆者の生まれる7年ほど前だが、当時の出来事と言うと、ザ・ビートルズがドリフを前座に従えて、来日コンサートを武道館で行い、宇宙怪獣ベムラーを追っかけて地球にやってきた、というストーリーから『ウルトラマン』が放送をスタート、また日本の人口が1億人を突破、一方、丙午ということで出生数が落ち込んだ、そんな年であった。 以来、40年の歴史の中で、ボランティア、市民活動、NPO、行政との協働、企業の社会貢献、CSRなど、市民による自発的で多様な活動を情報発信してきた。
創刊当時をひも解くと「ボランティアとは?」と見出しにあるように、現代にも引き継がれるテーマについて議論されている。その先駆性を感じる反面、40年たっても、この問いは解消、あるいは世間に伝播されていないのか、とも思える。もちろん、ボレロ的情熱をかけて、なんども問い直し、訴えかけていくテーマだ。
わたしは、事務局担当として創刊40年という節目に幸運にも立ち会ったわけだが、担当して1年あまり。しかし、こうした○×周年がもつ意義、つまり現在に立脚しながら、過去を見据え、未来を志向する・・・という歴史的パースペクティブをリアルに感じる自分を見出した。せいぜい物心ついて後の歳月にシンパシーをもつことが世代という便利な枠組みを形成する元凶なのだが、そこに固執していては、いつまでたっても「無批判に話の通じる」同世代との共同意識からは逃れられない。
過去から未来へと至る連続性を、創刊40年という自分の生い立ちよりプラス10年ほど長い歳月の息吹に感じるとき、過去の記事や、擦り切れた写真、そこに登場した人びとの意見、主張が、より身近に感じられてくる。同時に、これから誌面に登場することを待っている人びとの声や胎動を、敏感に的確に感じ取るための志向性が練磨されていくようにも思う。
おそらく、この40周年という年齢プラス10年程度のバランスがよかったのだろう。これまでどこか紗幕一枚隔てたことのようにリアリティの薄かった戦後61年も、いまごく身近に感じることができる。だからこそ、戦後61年の忘れっぷりのよさに恐怖するし、未来へのビジョンの浅薄さに戦慄を禁じえないものがある。
おそれとおののきは、もはや眉にツバしないと信じられないような大きな物語では糊塗されないのだ。あいにくウォロは、正真正銘の市民活動情報誌として、過去と未来をつなぎとめる多様な情報と、市民たちの自発的な活動から紡がれる等身大の物語の束で仕上がっている。ウォロは、これからもきっと50年、100年と、反省のある伝統を参照しながら、アクティブに未来志向を突き進んでいくに違いない。でも、「人類の滅亡に立ち会うことが夢だ」と言った人類学者がいたが、「ウォロの終刊を見取ること」・・・これは、見果てぬ夢に違いないか。
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