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■市民ライターどんどん ☆彡
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■ 縄文塾 安芸早穂子(縄文復元イラストレーター) ★彡☆彡
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■ 縄文を今に・・・ ■
1982年、青森県は県立野球場を作るために、そこにあることがわかっていた縄文遺跡を調査発掘しました。普通の調査発掘はみなそうですが、目的は球場建設でその予算の中の調査ですから、発掘はほんの申し訳に行われるはずだったでしょう。
しかし1984年日本中を「あっ!」といわせる大発見がすべての様相を一変させます。中に栗の木の柱材を残したままの6つの大きな穴が整然と並んで見つかりました。穴の中の柱が建物を支えていたとしたらそれは今までの考古学者が考えもしなかった大建造物の可能性が出てきたのです。
さらに人工の盛土でできた巨大な2つの丘にはさまれた建物群や、当時はす
ぐ近くまで波が打ち寄せていた海まで続くメインストリート、整然と並ぶ墓など、球場予定地の規模をはるかに上回る縄文の巨大集落がそこにあったのです。
青森県は球場の建設を断念、この遺跡を県の財産として保存する決断をしました。今は国の指定遺跡公園である三内丸山遺跡はこうして姿を現したのです。
このとき多くの近在の人々が発掘を手伝いました。遺跡の規模がただならぬものだったからです。青森の人々は文字通り「自分たちの手で」三内丸山遺跡を発掘したのです。この流れの中からNPO三内丸山縄文発信の会は生まれました。
本州の北の端で縄文の都が発見されたことをより多くの人々に知ってもらいたい。なによりもそこから見えてきた縄文時代の人々の暮らしは私たちが持っていた原始人のイメージからは想像もできないような規模と洗練された知恵をもっていたということ、それを知ることが、「なんだか行き詰まってるなあ」と感じている現代の私たちの救いになりはしないか。
青森を震源にあっという間に東京にも広まったこの会はそういう思いの人々が支えています。
ひとたび縄文人という人々のセンスに触れるとムクムクと“不思議なパッション”がわいてきます。岡本太郎に限ったことでなく、日本人の中のDNAが自信を取り戻すんだと私は思っています。
今回の縄文塾は復元イラストと実際の出土品の写真をパワーポイントで見ながら縄文人たちのアクセサリーについて考えます。ほんとに驚く縄文ファッションセンスについて知る絶好のチャンスです。9月2日大阪に、青森から、東京から、縄文の熱い風が吹くでしょう!
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