連載エッセイ
「地球を見つめて〜なんちゃって」(6)
かざりえみこ
2004年3月20日
山菜を食べる
この季節、デパートやスーパーで首をひねる野菜があります。
パッケージを手にして、あまりにも早すぎる春の到来と、色白でスラリとした上品な形やその値段に思わず「ウッソー」と声を出しそうになります。『山菜』という特殊なブランドがあるみたいです。タラの芽、ウルイ、ワラビ、コゴミ……。
人権、イイエ、山菜権(?)保護のためにいっしょに考えてみませんか。
山菜は今、自然食、健康食のブームに乗っているようです。
長年、山菜を多く食べてきた農山村の高齢者たちは、都会の人たちと比べると元気で長生きをしていると見たのでしょうか。都会では美食を反省して自然食が求められ、山菜の需要が伸びているとか。ミネラル豊富で、カラダにいいからと。
グルメ番組や健康記事には、山菜の天ぷらなら安心。アク抜きの手間も要らないし……なんて紹介をしています。生産地では少しでも他人より先に出荷、消費地では他人より先に味わう。 これがさらに『山菜信仰』をあおるようです。でも、温室そだちの山菜が自然食? コロモを付けて油で揚げた山菜の天ぷらがヘルシー食? どうにも不思議です。露地物の野菜に比べて、温室ものの栄養価が低いことは、もはや周知のことなのに。
山菜は野山で採集してこそ『山菜』です。光の味、土の味がして青臭くて苦い。けれどもこれが大人の味。ちょっと味わってこそおいしいものです。ところが現代人、とくに都会の人たちは山菜を採るマナーを知らな過ぎます。山地で何本もの黒いタラの木に会いました。全ての芽が掻き採られているのです。枯れるしかないでしょう。ワラビやゼンマイ、ウド、コゴミなども年々株がやせて、数年先には絶滅しそうなところが多いとか。 植物には葉が必要です。
食べられるからといって『退治』してはいけません。
昔から山菜を食べるしかなかった人たちは、山菜に、来年も生えてくれよ、の思いをこめて必ず数本を残し、小さすぎる芽は次ぎに来る人のために必ずおいていくということを子どもの時分から教え込まれました。だから、いま、車で来て根こそぎ取り尽くしていく人たちへの怒りや恨みは相当なものです。
自分が食べるだけ分を山からいただくつもりで、あとは残して帰りませんか?
縄文時代から続いた食文化を、あなたの次に山へ来る人へ、また次の世代へ、バトンタッチしましょうよ。
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