連載エッセイ
「地球を見つめて〜なんちゃって」(56)
かざりえみこ
2008年5月20日
紙あふれ現象の中で
部屋の模様替えを思い立ちました。
机の周りには書籍、雑誌、書類、郵便物、文房具類、パンフレット、おみやげにもらった飾り物、写真類、その他もろもろがどっさりあります。暑いときはいや、寒いと面倒と、どれをどうしたらいいかふんぎりがつかなくて、延ばし延ばしにしていました。今年こそあまり暑くならないうちにと、決心した次第です。
たった6畳一間のことですが、古いパソコンや携帯電話、テープレコーダー、カメラもありました。これは番外。メインはなんといっても紙です。書籍は本箱からあふれて床積み状態だし、ファイルケースから出てくる講座や会議の資料。力作が詰まっている同人誌、機関誌、集めたパンフレットや案内書、ミニコミ誌。手紙や報告書すべてが紙です。裏が白いのは再利用しようと重ねたらかなりの量になりました。
約40年前に私が勤めていた職場で小さなコンピューターを導入したとき、これで帳簿をはじめ、おおかたの紙が不要になると大歓迎したものでした。大きな金額の買い物をするに当たり、業者の担当と上司が一緒になって、そのようなメリットを繰り返し社員に説明してくれました。その後、職場から家庭に、パーソナルコンピューターとなって入り込んでからというもの、これほど紙があふれるとは夢にも思いませんでした。いま、届いた情報をなるべく紙化しないでおこうと思っても、ディスプレーの文字を寝転がっては読めません。まして出かけるときに電車の中で、というわけにもいきません。とりあえずコピーしておいて、あとで読もう、ということがこの「紙あふれ」の一因でしょう。
日本人は年間、250キロの紙を消費するそうです。中国は50キロ、アメリカは300キロとか。この数字を見て、私もその一人かと一瞬、目を疑いますが、よく考えたら新聞、書籍に限らず、ティッシュペーパー、トイレットペーパーも紙です。他に食品、衣料品、生活雑貨には必ず何らかの形で包装の紙がついてまわり、買ったその日に捨てられます。紙袋、段ボール箱もしかりです。紙の原料は木材。自然にあるときは樹木です。捨てるための紙、残すための紙。かさばるし、重いし、空気中の汚染物質を吸収してくれる樹木を犠牲にして生産される紙。製紙業と言えば、大気汚染、水質汚染という一時期を経て、いまの大量消費時代になった次第ですが、どうしたらかしこい消費者になれるのかしら。こんなことを考えながら片づけるので、二日目になってもまだ模様替えが完了していません。
「地球を見つめて〜なんちゃって」目次
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