連載エッセイ
「地球を見つめて〜なんちゃって」(43)
かざりえみこ
2007年4月20日
お花見と五感
東京や名古屋にひとあし遅れて大阪にも桜が咲きました。 上空は黄砂に霞んでいましたが、桜で有名な公園に朝からお花見に出かけました。 ラッパ水仙が咲き、枝には5分咲きの桜。日ごろのあわただしさをいっときでも忘れて、花のもとのそぞろ歩きを楽しもうと思っていたのですが、悪い予感がしました。少し歩いたところから早くもスピーカーに乗ったお琴の演奏が聞こえていたからです。 盛り上がるような新芽のクスノキ、ぷっくりと小さな花芽とならんで葉芽が連なるケヤキ、赤みがかった芽が揺れるカエデ・・・。幾種類もの樹木があって、それぞれが独特のスタイルで芽吹こうとしている枝に、小鳥の姿が見え隠れしています。すばしっこい身のこなしで枝から枝へ。きっと良い声で鳴き交わしているに違いありません。でも、それらしい声が“聞こえるような気”がするだけです。
理由は、スピーカーから聞こえるお琴の演奏の大音響です。フルートと(尺八ではなかった!)合わせて『越天楽』の調べがエンドレスに流れます。並んで歩く友人とは、ついつい大声で話しておりました。 寒くなし、暑くなし。ウィークデーのお昼前。ゆっくりとそこにおりたかったのですが、私たちははやばやと退散することにしました。大きな声で話すのに疲れたのです。 出口の建物の中に係員らしき人を見つけたので、思い切って声をかけました。「スピーカーのボリュームを下げた方がいいですよ。音が大きすぎてつらいから退散するところです」と言ってしまいました。すると、中にいた男性が「あっ、音、大きすぎますか、この中にいたらわかりませんねん」と、すぐさまチューナーに手を伸ばしました。
たしか、昨年のお花見時期にも同じ体験をしています。 お花見→赤いぼんぼり→お琴のBGM→大音響という公式からなぜいつまでも進化しないのでしょうか? ほんのりと桜色、という自然の色を実感するためには、ピンクのぼんぼりや釣り提灯はない方がいいに決まっています。小鳥の声を楽しむ春には、スピーカーを通したバカでかい音は無粋です。それでなくても酒盛りのドラ声や、イカ焼き、焼き肉のにおいに辟易するというのに。
公園の管理者はどんな神経の持ち主なのでしょう? 寒い冬に耐えて来て、生命力のあふれる自然の春に、自らの命の再生を重ねてともに喜び合うのがお花見とすれば、五感を大切に思う人に公園を管理してほしいと思う私です。
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