連載エッセイ
「地球を見つめて〜なんちゃって」(40)
かざりえみこ
2007年1月20日
しめ飾りに来るスズメ
かざりえみこ
毎年のことですが、年末に玄関先にしめ飾りをつけ終えて「いつ、スズメが来るか?」と期待するのがひとつの楽しみにしています。稲穂がたくさんついたしめ飾りは、私にとって、稲作民族の血が騒ぐのか、とてもうれしく心豊かなものです。そこへ集まるスズメ。このお正月は例年とちょっと違いました。
本題の前ですが、こんな昔話があります。 むかしむかし、スズメとツバメは姉妹でした。二人で暮らしているところへ、ある日、お母さんが死にそうだという知らせが届きました。ツバメは出かけるのに、お化粧をしてからと思って、鏡に向かいました。スズメはすぐに飛んでいったおかげで死に目に会うことができました。ツバメが身なりを整えて到着したときには、お母さんはもう亡くなっていました。一部始終を見ていた神様は、スズメには一生おコメを食べることを許してくれました。一方、親不孝なツバメを許してはくれませんでした。だから、ツバメはお米を食べることもなく、虫やら土やら口にするのです。
20年以上も前になりますが、私は自宅でささやかな家庭文庫をしていました。絵本を借りに来るにぎやかな子どもたちがかわいくて……。私はあの子たちをいつも小スズメのようだと思っていました。お正月のスズメは、たくさんの子どもたちがにぎやかに本を読みに来る前触れに思えたのです。だからスズメがきてくれるように願って、必ず、稲穂のついたしめ飾りを買いました。文庫をやめてからでもその習慣が続いています。 気の早いときには、お正月を待たずに大晦日の早朝から、チュンチュンと1羽が仲間を呼びます。ひとしきり複数の鳴き声がしたかと思うと急に静かになります。家族の者が新聞を取りに出る気配がわかるのでしょう。米粒のある限りスズメが来て、無くなるとパタリと来なくなるのです。
ところが、今年のお正月には、待ってもスズメは来ませんでした。 がっかりしていたら、1月7日の朝にひょっこりと1羽の声がしました。例年ならとうに稲穂がなくなっている頃です。そして鏡開きの朝でも、まだ米粒がついていました。こんなことはかつてなかったことです。 その前から、鳥の世界の異常には気がついていました。私が勝手に標本木のように思っている季節季節の木の実が減らないのです。クロガネモチ、ピラカンサ、ナンテンなど、花が咲いても去年の実が付いていました。鳥が来ないからです。それが、ついにお正月のスズメまでも! 確実に異常現象が起きている証拠でしょうか?
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