連載エッセイ
「地球を見つめて〜なんちゃって」(37)
かざりえみこ
2006年10月20日
里山破壊の実態
目をつむると、私の生まれ育ったムラの里山がありありと浮かびます。
約50年前、心にしっかりと刷り込まれた風景は、年齢と共に薄れるどころか、いよいよはっきりと見えてきます。川からこちら側の田んぼを抜けて来ると国道に沿って家が並び、その周囲と後方には畑。そして奥まった北側には山がありました。
山には持ち主がありましたが、村の人たちは自由に出入りして、山菜やキノコを採り、焚き付けにする杉の葉を集め、栗を拾いました。だれもが、自分の持てるだけ、必要なだけしか採らない、という暗黙の了解がありました。山には炭を焼く人、下刈りをする人などがいて、山みちで出会えば、おたがいに声をかけていました。山からでると、アズキや大豆の畑がずっと家のそばまで続いていました。畦道沿いにスカンポを摘み、桑の実を食べて歩いたものでした。
先月の末に、故郷を訪ねました。
里山の荒廃は私の故郷も例外ではない状況をつぶさに見て帰りました。まず、
山の持ち主が代わっていました。大きな木が切り倒されたのに、植林も手入れもしていない様子で、ススキが茂り、ヤブが続いています。残った若い杉林は、間伐も枝打ちもされないために、根元には陽も差さず、土は痩せていました。
山の続きにあった畑の多くが耕作放棄。そのあとに無造作に植えた杉がこれまた手入れの形跡もなく、もはや山とひと続きです。そんな中にいまだに耕されている畑があって、グルリをネットと高い柵で囲んで野菜を作っていました。きっと少人数家族の自家用なのでしょう。オクラ、インゲン、スイカ、キュウリ、菜っ葉類などの野菜が育っていました。
桑の木ならぬ柿やスモモの木がもとの畦道の辺りにあって、木の枝がぶざまに折れていました。畑の持ち主に出会ったので聞くと、クマが木に昇って実を食べたあとだとのこと。ゆえに、畑に来るのが命がけであることを知りました。ラジオをつけて歩けば? と言うとすぐに「ダメ」の答え。そこには人がいる、食べものがあるという合図になってしまうから、襲って来るというのです。それでときどき、首からかけた笛を吹くのだそうです。
いまでは、炊事や風呂にガスを使うので炭も薪も要らない、焚き付けも不要、山菜やキノコを採りに行くより、スーパーで野菜を買った方が早い、山イチゴなんかまずいと子どもたちが言う、沢ガニ採りなんかおもしろくない、それよりクマが怖い……。 これでは里山が荒廃するしかないと納得できました。遠く離れた者がひとり、たまに帰って懐かしがっても里山はもはや元には戻らない、ということでしょう。
過疎のムラで、ふるさとの山に向かって、しみじみと感じたことでした。
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