連載エッセイ
「地球を見つめて〜なんちゃって」(35)
かざりえみこ
2006年8月20日
真夏の公園で朝から始まることは
我が家の裏に市の公園があって、ケヤキやクスノキが繁り、広く影を落としています。夏休みになっても、とくに今年は子どもに関わる事件を心配するせいか、公園で子どもたちをほとんど見かけなくなりました。
それに取って代わったのが中高年の男女です。朝の8時過ぎ、早くも一人また一人と「おはよー」と寄って来て声高なおしゃべりが始まるのです。自転車で来る人もあるようです。洗濯を干しに私もベランダに出ますが、見ると手に手にアルコールとおぼしき容器を持っているのがわかります。こちらのベンチに4人ほど。向こうのベンチに3人。東屋の下にも何人か座っている状況です。
昼近くになると酔って大声を上げるのか、家の中まで響いてきてびっくりします。
近所の奥さんが怒っていました「酔った男女が仲間の前で抱き合ったりキスしたり、痴話ゲンかをしたり。それを、取り巻き連中がやんやと囃している。なんて風紀が悪い」
またあるおばあちゃんは、ケンカの声が恐ろしいと駅前の交番に言いに行ったところが、「巡視には通りますが、犯罪ではないからどうにもできません」との返事だったと大むくれ。ある日は、飲み過ぎたのか、倒れて意識を失った人に救急車が駆けつけたとのこと。それも一度ならず日をおいて二度、三度。救急隊員も怒っていたそうで、これは家の者から聞きました。
最近失業者が増えているといわれます。若年者の失業(ニート)はまた別の問題として、もっとも多いのは、55才以上の中高年層だそうです。そういえば、公園に集まる酒飲みグループにも、リタイヤの年齢前後かと思われる人がいます。定年退職、または不本意な中途失業など、自分が働か(け)なくなったときにそれぞれどのようにして時間を過ごそうと思うものでしょうか? 長い人生で出来なかったことにゆっくり取り組もうと、人によっては在職中の早い時期から準備や覚悟をしているものだそうですが、一般にはいかがなものでしょうか。
こうして連日アルコール片手に実りのないおしゃべりで時間を過ごすのは、どう見ても感心できません。健康によくないし、人びとが憩う公園の雰囲気を壊してしまうし、近隣の迷惑です。『集まって騒音、去ってゴミ』なのですから。
これがもし、リタイア世代が集まって、公園掃除をするとか、紙芝居をするとか、子どもと遊んであげるとか、自分たちでコーラスや楽器を楽しむなんてことになれば、それにひかれて世代を越えた人の輪が広がっていくかも知れません。
今の状態では、酔っぱらい集団にお説教をしに行くのは誰だってイヤです。見るからにガラの悪い人たち、と誰もが思っていますから。一緒に飲みながら共に語ろう、というのは考えられません。かといっていつまでも放っておくのもどうでしょう? 解決のためのいいヒントがあれば教えてください。
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