連載エッセイ
「地球を見つめて〜なんちゃって」(23)
かざりえみこ
2005年8月20日
泣きやまない赤ちゃん
連日の猛暑です。そんなある夕方、電車に乗ると、いきなり赤ちゃんの泣く声。しまったー、車両を変わろうかしら。でも通勤客で満員です。
見るとすぐ近くの座席で若いおかっぱ頭のお母さんが泣き叫ぶ赤ちゃんをしきりにあやしていました。頭をなでたり、背中をトントンしたり。赤ちゃんは、見るところ首がようやくすわった3ヶ月くらいに見えました。でも、しばし泣きやんだかと思うと、また激しく泣き出します。
私も20代終わり頃に、若いお母さんだった時代がありました。赤ちゃんがむずかって困っているとき、近所のオバチャンが「眠いのね」とか「のど乾いたのね」などと言おうものなら(なんで親でもないあなたにわかるのよ!)とかえって気持ちが逆なでされたものでした。自分の子ども、という意識が強すぎたようです。
でも私も50代のオバチャンになってわかるんです。
この赤ちゃんは眠いのに眠れない。それはお母さんにだっこされて、しかも小さな背中に密着しただっこ紐が暑くて気持ちが悪い。だから大声で泣いたらのどが渇いて仕方がない。それなのにお母さんは背中をトントンしたり、タオルも持たず、熱い手で頭をなでるだけ。この気持ちわかってー、と全身の力を振り絞って泣いて訴えているのにわかってもらえないもどかしさ。
私は『子育て支援』したくてウズウズハラハラ。
赤ちゃんのお茶持ってないの? だっこ紐を取ったら? タオルないの? ラッシュ時を外したらよかったね……。 でも、こんなことを言ったら、そろそろ頭にきている表情のこのお母さんは、人なかで恥をかかされたと思っていっそう困るだろうな。みんなの目もあるし、黙っているのが親切にちがいない。
出生率が下がっている今日、一人といえども大事な赤ちゃん。
若いお母さんたちに言いたいな。「子育てなんて一人で抱え込むんじゃないよ、長い人生の短い間、社会のお世話になってもいいんだよ」と。子育て終了世代の智恵や体験、あり余る時間などを生かす機会がふつうにあればどんなにいいでしょう。赤ちゃんの泣き声に胸を切なくしながら思った次第でした。
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