連載エッセイ
「地球を見つめて〜なんちゃって」(17)
かざりえみこ
2005年2月20日
毎度、まちの樹木を話題にして、恐縮しつつも、また樹木の話です。
街路樹が大きく成長すると、根が盛り上がって、歩道の敷石やアスファルト、タイルなどが持ち上げられて、通りがデコボコになっているのを見たことがあると思います。よそ見をしながら歩いていたら、危ない!
役所の担当部署に、高齢の方、目の不自由な方がつまずく、ベビーカーや車椅子が通りにくいという苦情が届くそうです。最初から分かっていることです。なぜこんな大きくなる木をこんな場所に植えようと判断を下したのでしょうか?私はいつも不思議に思うわけです。木には何の罪もありません。木の種類は、選べるはずですから。
ここ数年大阪市は、歩道整備を進めているようで、こんな街路樹を撤去し、かわって若い苗木が植えられています。街路樹の種類にも流行があるのか、イチョウ、ケヤキ、ポプラ、シンジュが伐られると、そのあとには、ハナミズキ、コブシ、ユリノキなど花もたのしめる木がならんで目を引きます。メタセコイヤも見たことがありました。 でも、これら後発の木もいずれは成長をして再び根が盛り上がり、枝を張り、合わせて落ち葉の苦情も来るでしょう。コブシもユリノキも立派な大木になります。ヤマモモだって大きな枝をはります。その時はまた伐りますか?
あるとき、福祉に携わる人から聞きました。「バリアフリーの観点から、公園の樹木の根が盛り上がっているのを撤去するよう要請したら、役所に聞き入れてもらった。事故があってからでは、責任が問われるから」と。 都会の公園こそ、砂漠の中のオアシスのような所と私は思っていたのです。炭酸同化作用で出してくれる酸素、ひんやりと涼しい木蔭。吸収してくれる大気中の汚染物質の量。風の音、鳥の声、緑の安らぎ・・・。
木はどう思うでしょう? 人間は勝手だなー。無計画に植えておいて、予算が付くからと、伸び盛りの木を、伸びたい木をいつでも伐って捨ててしまう。予算の出所は税金なのに、何を考えているんだ、と言うでしょうか? それとも、弱い立場の人を思い、それは当然だ、と言うでしょうか?
「地球を見つめて〜なんちゃって」目次
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