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★☆★ 書く力、書く参加!
☆★
★          市民ライター通信
☆ 2007.12.20
---------------- http://www.f-ts.bb4u.ne.jp/~writer/ ★ 第51号★☆★
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■あなたも市民ライターに!■

市民が社会に向けて情報を発信するには、書くことが不可欠です。
多くの市民活動はそこから始まっています。《書く力》を養い、
《書くことで社会参加する》市民ライターになりませんか。
                  
  ========= 市民ライターのイメージ ==========
       
* 書くことによる社会的な発信が大切だと考えている。
* 心情吐露だけに終わらず“レポート性”のある文章がかける。
* ペンが剣よりも強い世界にしたいと思っている。

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■まいど おおきに!■

 いよいよ2007年も10日余りとなりました。12月になると、いつもながら一
年は早いとつくづく思ってしまいますね。
 今年もライター通信は、発行を続けることができ年を越せることになりまし
た。2008年も引き続きよろしくお願いします。
 
/////////////////////■□■ も く じ ■□■//////////////////////

【1】論・RON・ロン
    人権 どこ吹く風の人たち  ………………………………… 北西風
【2】地球を見つめて〜なんちゃって(51) 
    12年目のシクラメン  ………………………………  かざりえみこ
【3】オバチャマは市民ライター (19)
    政治家ってどうなんだろう   …………………………… オバチャマ
【4】「私のスピルチャル体験」 第8回   ………………………… 有明弥
【5】この一本 
    ルワンダの涙 …………………………………………  キャロライン
【6】秋田弁だば まんず おもしれー 
    ゴボ 掘る人    ………………………………………… 秋田おばこ
【7】ハンガリー追想(12)   ……………………………… シュー・マームラ
【8】詩
    Hommage to the Beatles(ビートルズへのオマージュ)…  thayama
    湯豆腐 …………………………………………………  陣内 三朗
【9】編集後記


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□                          ★彡
■【1】 論・RON・ロン ☆彡
□       ◆ 人権 どこ吹く風の人たち  ◆      
■                           ★彡☆★
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                                             北西風

秋のある日のことです。フィリピンから来た3人の女性を案内して私鉄の駅にいました。彼女たちはそれぞれ大きなトランクを押したり、荷物を下げたりしながら、私とエレベーターの前に行きました。彼女たちは大阪の私鉄に乗るのが初めてで、キョロキョロしながらにぎやかにおしゃべりをしています。中年の男性がエレベーターのボタンに手をかけて待っていました。なかなかエレベーターが来ません。もしかしたら短い間だったかも知れませんが、私にはいつもよりも長く感じました。

その男性が、私に「あんた、日本人やろ? この人らどっから来たんや? 何しに来てん?」と横柄な聞き方をします。この場で揉めごとを起こしたくないと考えた私は「フィリピンです」と答えると「出稼ぎかい」と来ました。あごをしゃくってかなり失礼なモノの言い方です。「この方たちは、あちらの行政のエライさんで日本に視察に来られたんですよ」と正直に言ってやりました。とたんに彼はデレッとしていた姿勢を改めて「はっ、ご苦労様です」と頭を下げたのです。このすばやい変わり身は何? と思いながらエレベーターに乗り込みました。通路階に到着すると、彼は、全部の荷物が出る間ずっと「開」ボタンを押し続けてくれました。そうして「どうぞ、気をつけて行ってらっしゃいね」と手を振るではありませんか。

次の日、また4人で駅ホームのエレベーターを待っていました。私たちの前でドアが開くと、しゃれたジャケットを着込んだ見るからに紳士然とした初老の男性が現れました。ゆったりと目の前に出て来て、ひとわたり私たちを上から下まで「検分」をするように眺めました。と、いきなり、手にしたステッキで思いっきりひとつのトランクを叩き、それから何ごともないように向こうに行ってしまいました。一瞬のできごとでした。たしかに同行の女性たちは、背が低く肌の色は濃く、一見して東南アジアの人という顔かたちです。それが気に障ったというのでしょうか? 荷物が通路をふさいだわけでもなく、手出し口出しをしたわけでもありません。

以前にも、ラオスの女性と一緒に街を歩いていて、男性の高齢者に不快なことばを浴びせられたことがありました。私は、またか、と思いました。アジア系の人にはえらそうな態度をとる理由のひとつに、太平洋戦争で日本が負ける前に初等教育を受けたことと関係があるのでしょうか。その当事者だったり、またはその人たちから身近に教えられた人たちだったり……。人のイヤがることはしない『人権』が声高に言われているのに、どこ吹く風の人たちをこうして目の前で見ることは悲しく、またとても恥ずかしいものでした。      
           


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■【2】 地球を見つめて〜なんちゃって(51)    ☆彡
□                    ★彡   
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            ■ 12年目のシクラメン ■
                                       かざりえみこ

シクラメンの原産地は、トルコの地中海沿岸にある山地と知ったのは、もうずいぶん昔、あの『シクラメンのかほり』がはやった頃でした。その後、花博会場の鶴見緑地で原種のシクラメンを見ました。スミレくらいの質素な花で、葉も数枚ついているだけでした。

シクラメンは名前に「シ(死)」や「ク(苦)」がついているし、鉢植えは「根付き(寝付き)」だから、決して病人の見舞いに持っていかないということは、長い主婦歴の間に得た知識です。私ならもらえばうれしい、などと言えるのは健康だからでしょう。「シが死」などと言わずにすむように、日本に導入された明治期にサイクラメンと言えばよかったのにと、いさかか不満です。CYCLAMEN の綴りの前半の意味は、いわゆるサイクルです。ちなみに、シクラメンの花後に花ガラを摘まないでおくと、なよやかだった茎がビシッと堅くなって次第に輪を描くように曲がり、実が完熟する頃には先端が地面に届き、いつか土に根を張り、翌春にはかわいい芽が出ます。種を摘んで別に植えると、よりいっそう丈夫な芽が出ます。私が試したところでは、寒さにもけっこう強いことがわかりました。ふつうは花を長く咲かせるために花ガラ積みをこまめにします。実をつけると植物の本能で、花を咲かせるよりも実に養分をつぎ込むようです。

ところで、見てわかるようにシクラメンは球根で育ちます。花後の管理が良ければ球根が生きている限りは咲くということです。我が家には今年で12年目という株もあります。店先に出るまでには2〜3年かかりますから、15歳くらいかも知れません。かなり大きな球根です。他には7年、5年の株もあります。真冬でも暖房のある部屋には入れませんので花が咲くのは春先。チューリップと並んで咲くシクラメンを見て「アレ? 冬の花じゃなかったっけ?」とたいていの人はビックリするようです。夏の間は鉢ごとすっかり乾燥させて、風が通る物陰に置きます。植え替えて秋のお彼岸頃に雨に当てると糸のような芽が一度に出て毎年私を感激させてくれます。

この冬、花屋さんに並んだシクラメンは例年よりも高価です。温室咲きの花にも石油の値上がりが影響しました。バイオ技術の進歩でより華やかになり、さらに高値の高嶺の花になるシクラメン。そこで提案です。お手持ちのシクラメンは花後も捨てないで、自然の温度で咲かせてみませんか。栽培方法は、たいていのガーデニングの本に載っています。


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☆                    ★彡☆彡★彡
★【3】オバチャマは市民ライター (19)       ☆★彡
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              ■ 政治家ってどうなんだろう ■ 
                 
                                         オバチャマ

オバチャマは、最近、極度の政治不信なのだ。福田首相が、国会の会期延長を提案している。おいおい、勝手にそんなことやられちゃ、困っちゃうんだよね。期間内に仕上げるってのは、社会じゃ当然のことでしょ。身銭でも切るっていうなら、まあ考えてやらないこともないけど、ぜ〜んぶ、私たちの税金でやろ
うなんて、虫が良すぎるってもんだ。

大体ね、安倍さんのドタキャンで国会が空転したとき、どれだけ無駄に税金が遣われたと思ってるの? 3回分の衆議院、参議院で、なんと、2億何千万円だとさ。何しろ経費も凄いが、国会が空転している間、3日分で国会議員ひとりに78万円が支払われたっていうから、驚き桃の木だよ。なんも働かないのにこれって税金のタダ取りでしょ。国民をバカにするんじゃないってんだ。だれか返上した議員の話聞いた? それに、その責任は安倍さんにもあるんだから、どうして負担させないんだろうねえ。会社に損させたら、社員は責任を追及されて当たり前。

お互いさまだからじゃないのかな。誰かを厳しく責めれば、自分も責められる。ほんと、気骨のある政治家っていないのかね。国会だけじゃない。大阪府知事の太田さんだって、金銭問題があったのに、政治家ってやだね、彼女が立候補を取り下げたとたん、今更、辞めようとしている人を責めてイメージが下がっちゃ困る。選挙が大事だから、追及はやめようときたもんだ。政党の倫理ってこんなもん?

日本の政治家は腐ってきているのかな。その責任は国民にもあるとオバチャマは思うの。頑張っている政治家を誉めないからね。個人的な好き嫌いは別として、例えば、桝添さんの年金問題の解決が完璧でなかったからといって、公約違反だ、やめさせろとかいうのは、絶対良くない。年金問題を起したのは彼じゃないし、少なくともそれをいい方向に向けてきたんだから、エールを送ればいいじゃない。とにかく、一生懸命働いている政治家には、エールを送る。揚足をとって引き摺り下ろすなんてもってのほか。それとも、彼より上手く完璧に年金問題を解決できるひとがいるとでも?

何もしない人は批判もしないで、改革に果敢に取り組んだ人を糾弾していては、誰だって怖くて動けなくなっちゃう。それは、利口な方法じゃないね。賢い国民になって、政治家を厳しくチェックし、頑張るひとにはエールを送り、私腹を肥やす輩は糾弾する。それが、大切。そのためには、議会の傍聴が無理だとしても、せめて、国会中継や、国会のHP、新聞、テレビを駆使しなくちゃ。その前に、選挙に棄権しているようじゃ、文句をいう権利もないか。

                             
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☆【4】「私のスピルチャル体験」 第8回  ☆彡     ★彡
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                                         有明弥

 最近世間ではお姉ブームとかで、女装したり女言葉で話したりする人たちが注目され、もてはやされています。悪いことではないとは思いますが、単に面白いという一時的なものに感じます。その人達は、悩み苦しんだ末に、自分のことを表現できるようになったのだと思います。このことはすばらしいことです。
 しかし、私にとっては「ある一部の限られた職種の人なら認めましょう。でも一般社会や、会社では認めませんよ。もしどうしても女装したいなら、特定の場所だけでやってください」と言われている感じがしてならないのです。

 先日通勤にレデイースのジーンズを履いていたのを部長に見られ、「君のことで悪いうわさがあるよ。会社のイメージにも影響する」と注意されました。社会の現状を考えると仕方ないと思い、「分かりました。以後気をつけます」と素直に言いました。
 が、その後に、部長が「それで仕事してないな」と言ったのです。私は、一瞬何を言われたのか理解できませんでしたが、部長は、ゲイバーで働いているのではないか疑っているのだと気づきました。女装イコールゲイ、ゲイイコール水商売という短絡的な発想なのです。私は唖然としましたが、「ありません」と答えました。しかし、現実を突きつけられ、そして自分を表現しきれなかった悔しさが今でも残っています。

 社会では、「一人ひとりの人権は認めましょう。平和で自由な暮らしを」ともっともらしく言われています。しかし現実は、多数派の人権や自由のみが重視されているように思います。一部の人たちは、理解されずに悩み、苦しんでいます。例えば、HIVの問題でも感染予防には力を入れているようですが、感染者に対してはどうでしょうか。障害者に対してはどうでしょうか。そして、私に対してはどうでしょうか。「自分の好き勝手なことするな!モラルに反するな!」とありがたい言葉が飛んできます。
 私は、はやりのブームにのりたいわけではありません。面白がってやっているのでもありません。今までの自分の生きかたは、何か自分ではないように感じ、そのことを悩み、性別には関係ない生き方をしたいと思い、私には女装が落ち着けると思っているだけなのです。性的マイノリティーは同じではなく、一人ひとりに違いがあります。私は、それを認めてこそ、人権と自由があると信じています。
 
 性同一性障害とは、専門の精神科医に診察を受け、宣告された人たちのことです。診察を受けていない私は性同一性障害ではなく、また医者に認めて欲しいと思っていません。自分の気持ちに正直に生きたいだけなのです。どうして、性同一性障害と認められた人だけを世間は受け入れ、それ以外は拒絶するのでしょうか?たしかに世間に対しては、病気として認知されれば、少しは暮らしやすくなるかもしれません。しかし、社会は特別のカテゴリーを作り、無理矢理カテゴリーの中に入れようとしているのではないでしょうか。
 
 女装や男装することは身勝手で、わがままで、モラルに反することなのでしょうか?私は、自分に正直に、そして自由に生きたいだけなのです。


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□【5】この一本 『ル ワ ン ダ の 涙』     ☆★☆彡
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                                       キャロライン

マイケル・ジョーンズ監督のイギリス=ドイツ合作映画『ルワンダの涙』を観た。スリランカで活動するイギリス人宣教師の家に産まれ、スリランカの民族紛争を見聞きし、日本でも人種差別問題解決に向けて闘う私にとっては、あまりにも感情移入してしまう映画だった。主人公はイギリス人である初老のクリストファ−神父と、赴任してきたばかりの元気いっぱい希望もいっぱいの青年神父ジョ−。クリストファ−とは、これまた私の父と同じ名前だ。彼らは布教活動のためにこの地に住んでいるのだが、長らくルワンダに住んで現地の風習にも言葉にも堪能なクリストファー神父と私の家族の姿がダブる・・・。

当時、人口の85%を占める多数派フツ族による少数派ツチ族への憎悪は頂点に達しようとしていた。100日間で100万人。1994年に起きたフツ族によるツチ族のジェノサイド(大量虐殺)の数である。ツチ族の人々が民族間の憎悪によって、赤ん坊にいたるまで片っ端から惨殺されるという強烈な映像が、これでもかこれでもかと迫ってくる。「あいつらを殺しても良いんだ! 殺すことが良いことなんだ!」と思いこんだ人々が、無慈悲に「敵」を「狩っていく」様子が、淡々と冷酷に映しだされる。神父は国連の支援団に避難民を守るよう必死で懇願する。しかし、支援団は介入が内政干渉に当たるとして拒み、やがて「撤退命令」を受け、避難民を残して学校から退去してゆく。

この映画の舞台となった教会付の学校は、実際にジェノサイドが起きた場所。国連軍が撤退したために、即座に2500人のツチの人々が殺された場所。当時の国連軍は「平和監視」のみを任務としていたから、いかにルワンダ国内で残虐な民族虐殺が繰り広げられていようとも武力を行使することは許されない。とはいえ、国連軍はその“結果”を十二分に理解した上で撤退した。この映画の主張は「なぜ国連とは、かくも無力なのか」という痛烈な批判であると私は受け止めた。

原題は『SHOOTING DOG』。虐殺されたツチ族の人々の肉を食べている犬に向かって「あいつらを撃ち殺してやろうか!」と言い放った国連軍司令官に向かって、クリストファー神父は信じられない思いで「SHOOTING DOG?・・・」と問いただす。「犬はあなた方に発砲したんですか?国連軍の方針は、発砲して脅威を及ぼすものに対してのみ、武器の使用を認めているんでしょう?・・・」この映画の重要なシ−ンであり、痛烈な風刺場面。

この映画の公式HP→<http://www.r-namida.jp/index.html>にうまいコメントがあった。「UNに代表される国際社会がこの大量虐殺を黙視したのは、結局我々日本も含む国際社会がルワンダというアフリカの最貧国で生きる人々(や違う人種の人々)を所詮「Dog」としか認識していないことを暗喩している。」この映画は、白人の目から見たスト−リ−展開になっているので、「北」の視点がはっきり出ている。ゆえに、国連軍に代表される西側諸国の冷酷さや、人道主義の限界が痛烈に現れている。ヨーロッパ各国はアフリカ各地を植民地化し、国家を分断していった。

ルワンダを植民地にしたベルギーは、『民族認識カード』の所持を義務付け、少数派のツチ族を優遇して分断統治してきた。これが民族対立の大きな原因になった。しかし、大虐殺が始まると、ヨーロッパ各国はルワンダを見捨てた。資源が豊富であるなど、欧米諸国の利益になれば積極的に「干渉・介入」するが、当時のルワンダは、介入してももはやメリットはなかったという。これは決して珍しいことではなく、スリランカでもどこでも、植民地政策にはつきものの現象だ。ス−ダンなどで今でも起こっていることだ。

映画の終盤で、クリストファー神父とジョーはここに残るか否か、究極の選択を迫られる。神父は彼らと一緒に死ぬことで神の愛を証明しようとし、ジョーは死ぬのが怖くてイギリスに帰っていく。この映画の製作者兼共同執筆者のデヴィッド・ベルトンは虐殺のあった1994年に報道記者としてルワンダで取材活動を行っており、「助けるべきルワンダ人たちを見捨てて脱出した」との罪の意識にさいなまれてきたという。しかし、見捨てたのは彼らだけではない。国連が、西側諸国が、世界が、ルワンダを見捨てたのだ。

だって、フツ族は、たいした武器を持っていなかったんでしょう?農業用の“ナタ”ぐらいしか持っていなかったんでしょう?それに対して、国連軍は立派な武器を持って武装蜂起していたんでしょう?それじゃあ、武力を行使しなくても、ツチ族を別の場所に避難させるとか、難民キャンプを包囲してフツ族を威嚇し続けることはできたでしょう?“国連軍が 撤退すれば 皆殺し”が分かっていて、どうして撤退しなきゃならないの???
その事実を、この映画は私たちに突きつけている。

これは物語ではなくて、ほんの13年前にアフリカで起こったこと。エンドロールの最後に、映画出演・製作スタッフが紹介される。あのジェノサイドを生き延びた少数の当事者たちだった。その人たちが、いきいきと笑っている・・
・!これが私には一番切なかった。


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■【6】「秋田弁だば まんず おもしれー」(秋田おばこ編) ☆彡
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          ■  ゴボ 掘る人 ■
                            
                              秋田おばこ

とかく飲む機会が多い時節がら、ゴボ掘って嫌われる人はいませんか?
野菜のゴボウは、一直線に深く土の中に生えていますよね。

ひとつのことを、クダクダといつまでも言う人はイヤがられます。
この状態が「・・・ゴボ掘ってる」です。
 
「さあ、さあ、いつまでもゴボ掘ってないで!!」
ダダをこねている幼児に向かって使うこともあります。

地酒のおいしい秋田では、酔っぱらいは、幼児なみ扱いかな? 


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■【7】ハンガリー追想(12)                 ★ ☆
□                      ★彡★彡
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                                    シュー・マームラ

前回、前々回に続き、今回も乗り物について書いてみようと思っていたところ、1週間ほど前に偶然テレビで、ミニチュアモデルを生産するドイツの玩具メーカーが、「トラバント」の復刻版の生産に協力してくれるメーカーを探しているニュースを見た。東欧の人にとっては、トラバントは昔を思いださせる象徴の一つなのだろう。

「トラバント?どこかで聞いたことあるけど」と、思う人もいるだろう。しかし、1989年のベルリンの壁崩壊時に、旧東ドイツ国民が車一杯に荷物を詰め込み長蛇の列を作って、国外脱出している模様を伝えたニュースを思い出してほしい。「そう、あの車が旧東ドイツの国民車のトラバント」といえば、「ああ」と思う人が多いだろう。

何故ハンガリーの話に東ドイツ製の車の話かというと、仕事仲間のゴビさんに何度か乗せてもらったことがあることがあるからだ。1992年にはスズキが、冷戦後の東欧諸国へ安価な車を供給する目的でハンガリーで車の生産を開始した。ところが、私は車に興味がなく、雲助タクシーがベンツだったこと以外、どんな車がハンガリーで走っていたのか記憶がない。なので、私にとっては、トラバントがハンガリーでの車の思い出だ。

未だにハンガリーの乗用車の普及率は4人に1台程度。まして1990年代に乗用車を保有するのは珍しかったこともあり、ゴビさんの黄色いトラバントはそのかわいさと共に印象的だった。その頃、彼女は仕事で夜の10時ごろまで働くことも多く、時間がかるバス通勤がむつかしくなり、車を買ったそうだ。ブダペストには地下鉄は走っているが、中心部のみで主な公共交通はバス。彼女の場合には、車を利用すると20分程度なのに、バスの乗り継ぎが悪いと1時間半ほどかかることもあったそうだ。

また、彼女の車のことをよく覚えているのには、他にも理由がある。一つめは、東ドイツの末期の工業製品の品質状況からか、ボール紙で作られているとの風説が流布しており、本当にそうなのか興味津々であったことだ。実際はボディが強化プラスチックで作られていて、小さな車体にもかかわらず、4人が乗ってもかなりのスピードで走り、とても快適であった。ゴビさんも、車が故障することなく、毎日快適な生活を送っていたようだ。

二つめは、その車が盗難されたことだ。かつては旧東ドイツ国民がトラバントに乗ってブルガリアやハンガリーへ休暇で出かけていたことで、東欧の人々にとってはあこがれの車であったようだ。そこに冷戦終結後の1991年に生産が中止になり、プレミアがつき中古でも高額で、入手が難しくなったと聞いていた。治安も良かったハンガリーで、アパートの駐車場から車が盗まれたことは、ゴビさんにとっては二重のショックになった。

そして三つ目は、何事にも几帳面で慎重なゴビさんが、意外や意外、車の運転になると、スピード狂であったことだ。さらに、車を運転しながら、いつものようによくしゃべるし、タバコ片手に運転する。彼女の車に乗るときには、常に緊張していたことも、今となっては懐かしい思い出になっている。


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□             ☆彡☆彡
■【8】詩                ◆彡◇彡
□                          ◆彡★彡
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  ■ Hommage to the Beatles(ビートルズへのオマージュ) ■

                  thayama

汚い壁に唾を吐いたからとて

心の太陽が失せるわけでもなし

西方から躍り出た四匹の馬に

何を託したというのだ

恨みの歌も輝き始めたというのに

お前の決意は本物なのか

モトたちを殺りたいと言うのだな

エイ族の長もか?

それで、命が革まるのか?

「……」

だから、ただ唄え、彼らとともに

われらを支える大地の歌を

OH, the land.

Under the sky of innumerable stars

Lay me on your throbbing breast

Lay me on your throbbing breast



  ■ 湯豆腐 ■

                        陣内 三朗

妻の作ってくれた「湯豆腐」
とてもおいしく
ありがたかった

遅く帰ってきたのに
寝ずに待っていてくれて
俺のために作ってくれた「湯豆腐」

シンプルでとてもおいしかった
ありがたかった
疲れた心にとてもありがたかった

待っていてくれる人がいるって
いいなって
こころが「ホッコリ」する


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★【9】 編集後記                     ★☆★
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 最近私がしばしば感じているのは、人混みや電車の中で、人が他者への配慮がなくなってきていることです。人混みの多いところで、前を歩いていた人が突如180度方向転換して、ぶつかりそうになったことがあります。友だちとの話に夢中になってバックを周りにいる人に何度もぶつけているのに、気づかない人も目撃しました。そのバックをぶつけられた人が、叩き返したことには、さらにビックリしました。何がおかしくなっているのでしょうか。 (スー)
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