☆ オバチャマは市民ライター
オバチャマ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(34) はじまっちゃった〜裁判員制度 ■
2009年6月20日
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2009年5月21日、裁判員制度がはじまった。新制度の初公判は8月6日「東京都足立区でおきた殺人事件」死刑判決もありえる凶悪事件を、突如、裁くことになった裁判員の心境いかばかりか。裁かれる方にも裁く方にも、予測できない未知との遭遇。
この制度の導入には、いまも賛否が分かれている。「裁判員制度はいらない!大運動」http://no-saiban-in.org/index.htmlのように、「絶対廃止にするぞ」という反対運動も多い。「裁判員制度は筋書きのできたヤラセで、裁判員はお飾りだ」という声や、「被告人だってたまたま選ばれた普通の人に裁かれたくないはず」という意見もある。「他人の刑罰を決めさせられて、何で普通のひとが悩まなあかんの」等など。喧々諤々でよかった。日本は民主国家だった!オバチャマは「よく分かんないけどやってみるしかないんじゃないの」派。米・英国の陪審制と仏・伊・独の参審制のいいとこどりで、どこにもない裁判員制度。いわば前人未踏で、誰もやったことないんだから。
気になるのは「守秘義務」。言っちゃダメと言われれば尚更言いたくなるのが人の常。「王さまの耳はロバの耳」じゃないけど、ひとりで抱え込むにはあまりに重い。共有したい、話したい。わかるなあ、その気持ち。犯人や被害者の顔、事件現場の生々しい映像、証拠品、供述……インパクト強すぎ。その上、自分の下した判断への不安。引きずるよね。こっちはプロと違って、多種多様な事件を次々になんてことはないから、担当した事件のこと一生忘れられないと思う。他人の人生、命まで扱う怖さ。その怖さが必要なのかも知れない。所詮、人間、神じゃない。裁くことに慣れて上から目線になる方が怖い。
判決の宣告前の守秘義務は非常に厳しいが、宣告後はかなり自由度は高いそうだ。事件に関する情報でも、法廷で明らかにされた事情や経験した意見・感想なんかは自由にしゃべっていい。絶対漏らしてはいけないのは、当事者のプライバシーや判決の決まった経過とか……。言えないことを一生抱え込むというのは精神的にきつい。
裁判員に絶対に必要なのは、生涯の心のケアと安全の確保。秘密に耐えられなくなって床屋化したとき、ちゃんと守秘してくれるしゃべり場所と治療してくれるカウンセラーや精神医。いつでも駆け込める身近に、つまり全国各地に体制を整えておいてほしい。もちろん利用は無料じゃなきゃ。それから、元裁判員たちがいつでも忌憚なく意見交換ができる場や、その経験や意見をちゃんと司法の場に反映し生かしていくシステムも必要だわね。元裁判員を孤立させないこと。制度を一過性にしないこと。
確かに、裁判員は素人だから法的知識はほとんどない。法的根拠が弱い分、情に左右されたり周囲に流されやすいかもしれない。それなら、それがプラスに働くようにすればいい。素人が司法に参加することで、取り調べが白日の下にさらされれば、いい加減な取り調べや自白強要、権力者の横暴も減るだろう。司法への国民の関心が高くなれば、裁判の質も向上する。進みながら改良していくしかないよね。全国民が初心者なんだから。変わろうとしている司法の場を、オバチャマは、前向きに支えていきたいと思う。
★もっとよく知りたい人には公式HP
→ 裁判員制度 http://www.saibanin.courts.go.jp/
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