大阪市福祉教育語りの会 山本 美恵子 (2)
2009年8月20日
私は28歳で完全失明し、悶々として引きこもっていました。その私の気持ちを外に向けてくれたのは二人の息子たちの存在でした。不安や恥ずかしさを捨て、白杖歩行に挑戦し、限られたところだけでしたが料理や編み物、ミシン縫いの講習会にと何とか一人で出かけられるようになりました。しかし、それは失敗も多く緊張の連続でした。帰宅すると、もうくたくた、眼圧が上がって病人の様に寝込んでしまうこともありました。
そんな頃、日本でも盲導犬が育成されて、盲導犬歩行をしている人があることを聞きました。一人で自由に行動したい、そして動物好きな私は、なんとか盲導犬を取得できないかと思っていた矢先、講習会に盲導犬と共にさっそうとやってきた女性に出会ったのです。早速色々な話を聞かせてもらって、すぐに盲導犬の貸与を受けるべく日本ライトハウスに申し込みをしました。
5年近くたった1982年の1月、念願かなって1頭目の盲導犬に出会うことができました。出会うなり胸に飛び込んで来て、ちぎれんばかりにしっぽをふってくれたその子はお茶目でかしこくとってもかわいい盲導犬でした。初めてハーネスをつけて一歩踏み出すと、その後は結構なスピードでスムースに案内してくれました。まだ目がよく見えていた幼い頃に、近所の田んぼや畑のあぜ道を駆け回った自分の姿を思い浮かべました。これからはいつも私の側にこの子がいてくれる。その感動は胸一杯に広がりました。
一ケ月の共同訓練を終えて我が家に帰った私は、それから毎日街中を歩きました。日に日に行動範囲が広がり、その歩行はスピーディでほとんど危険もなく快適なものでした。しかしどんなに素晴らしい訓練を受けた盲導犬でも、ユーザーとなったからにはその訓練の基本を守らなければなりません。盲導犬の世話は全て自分でやらないと歩くだけでは信頼関係が生まれません。周りの人がやさしい声をかけたり、食べ物を与えたり、相手をしたりすると、盲導犬は仕事を忘れてしまいます。ですから盲導犬との歩行中は食べ物を与えたり相手をしたりせず、静かに見守っていて欲しいのです。
盲導犬はたとえ道に迷った時でも危険な所へは行きません。それでも信号の色を見分けることはできませんし、ユーザーが、正しく行き先の地図を理解して命令しないと道に迷うこともよくあります。困っている様子が見えたときは白杖歩行の人同様にぜひ声をかけて下さい。そして手を貸して下さい。盲導犬と出会えた私は行動の自由が得られて、行きたい時に行きたい所へ単独歩行で行けるのです。この幸せをかみしめて健康でいられる限り、依頼があれば、学校やいろいろな集まりに、盲導犬や障害理解の啓発に出かけて行きたいと思っています。
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