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オバチャマは市民ライター ……オバチャマ
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☆★☆★
★☆★ 書く力、書く参加!
☆★
★          市民ライター通信
☆ 2009.8.20
---------------- http://f-ts.bb4u.ne.jp/~writer/  ★ 第71号★☆★
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■まいど おおきに!■
 メルマガ発行後に、ホームページやブログにも掲載していますが、もっとブログのいいところをうまく活かそうとの提案がありました。そこで、日ごろの思いを編集委員が気軽に書く「編集委員日記」を7月末から始めました。http://mmwriter.seesaa.net/index-2.html も時折覗いてくださいね。
 いよいよ次号は72号、丸6年間続けてきたことになります。72号にむけての皆さまのご投稿もお待ちしています。


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【1】市民ライターどんどん(48)   
    知って下さい。「大阪だけ車いすで自力乗船出来ない!」
                  ……………………………………… 山名勝
【2】論・RON・ロン
    いまなぜ「市民自治」なのか …………………………… thayama
【3】オバチャマは市民ライター (36)
    総選挙、言いたい放題〜ごめんあそばせ …………… オバチャマ
【4】みどりを友だちに! (1)
     「花から花へ」ムクゲの季節 ……………………  かざりえみこ
【5】自分史「大阪ベイエリア」(10) 大正区編 
    弁当屋 2 ……………………………………………… トミ〜さん
【6】チョットかがく(9)
    野菜考 ……………………………………………………… OHE
【7】福祉教育語りの会
    (1)盲導犬に出会って  ……………………………… 山本美恵子
    (2)全盲の保育士の是非を考える  ………………… 鈴木 昭二
【8】私のこの一本
    DVD「それでもボクはやってない」 …………………………… スー
【9】からだを散歩すると(6)
    肩  ……………………………………………………… 竹藪 耶桁
【10】編集後記

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□【1】市民ライターどんどん(48)     ★彡☆彡
□  大阪市身体障害者相談員 山名勝   ☆彡
■              ★彡
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     ◆ 知って下さい。「大阪だけ車いすで自力乗船出来ない!」◆

 船着き場はすごく立派なバリアフリー施設なのに?
 大阪府と大阪市が恊働して、水の都復活イベント「水都大阪2009」を行い、橋下知事や平松市長も先頭に立ってキャンペーンに力を入れています。府は天満橋の「八軒家浜船着場」を中心に水辺整備と「ほたるまち船着き場」など中之島周遊クルーズなどを楽しめる施設を整備しています。一方、市は「道頓堀遊歩道」や「湊町リバープレイス」など道頓堀川の大規模な水辺整備を行い、お金を掛けてバリアフリー乗船場を作っています。

 今春には先行して「春の舟運まつり」という催しが行われて、いろんな船を総動員して八軒家浜に集め、大々的に市民を大川遊覧に誘いました。今、大阪には全国有数のバリアフリー乗船場が整備されているのです。

 ところがです! 残念ながら大川や道頓堀川では「車いすは抱え上げられて上下船」しなくてはなりません。バリアフリー法施行後7年以上経ち、全国の客船や水上バスが車いすでも普通に「自力で」上下船できるようになっているのにです。

 大阪で乗れないのは「乗船用スロープを備えてない」という単純な理由からなのです。バリアフリー法ガイドラインには「車いすは持ち上げることなく乗降できる」こととあり、自力で上下船を行えるのが全国的な常識となっているのに、驚いたことに行政担当者も船会社も知らないようなのです。ガイドラインには図入りで「手摺付き船用スロープ」などの例が具体的に挙げられているのですが??

 府の水都担当者に話したら「船は民間事業者のものですから」と。船へのバリアフリー設備助成や指導を強化する気配は感じられませんでした。市のバリアフリー施策担当は「水上バスは橋桁が低く特殊構造なのでムリと船会社が言っている」と的外れな回答が返ってきました。確かに現行の水上バスは車いす乗船を全く想定していませんが、それ以外の多くの船は、乗船用スロープがあれば問題なく乗れるのです。

 東京湾や信濃川の水上バスやクルーズ船を始め、各地で多く乗船してみましたが、どこも車いす乗船への配慮や設備があり、実にスムースに乗降できます。「車いすは抱え上げれば良い」は過去の考え方です。 「持ち上げたりしないで、乗降できるようにしよう」とするのがバリアフリー法の考え方です。水都を標榜する大阪で、このような考え方が皆無なのは残念なことです。


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□                          ★彡
■【2】 論・RON・ロン ☆彡
□                 ★彡☆★              
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         ■ いまなぜ「市民自治」なのか ■
                                         thayama

10月4日から始まる、「自治の学校」(大坂ボランティア協会主催)の第1回目のテーマは、「民主主義と市民自治」というものである。しかしこれらは、必ずしも両立するものではない。つまり、近代的な民主主義社会になって市民自治が進んだかといえば、むしろ後退している、と言ったほうが正しい。反対に、江戸時代の封建社会においては、住民自治・地域自治(地方分権)は当たり前で、それがなければ地域のガバナンス(統治・統制)は実現できなかった。
(※「自治の学校」詳細     ⇒http://www.osakavol.org/events/091004jichi.html)

近代的民主主義社会の特徴は、強力な中央政府と行政機構が登場し、代議制の意思決定機関(議会)が確立したことだろう。ガバナンス(統治)と意思決定のスペシャリスト(官僚・役人&政治家)が出現し、その結果、フツーの市民(地域住民)がそれらに関与できなくなった。つまり、近代的な間接民主主義社会においては、よほど市民が意識的・積極的に「自治」に関与しないと、スペシャリストたちが思うままにガバナンスを執行してしまうのである。

スペシャリストたちは、甘い汁(予算と権限)が吸える立場にあるから、それらを市民のために使うより、自分たちのために貪ってしまう傾向がある。これはガバナンスの間接化がもたらした最大の欠点であろう。だからぼくたち市民は、もう一度自分たちで自分たちの地域をガバナンスする力、つまり市民自治力を再発見し、最開拓しなければならないと思うのだ。

その際、問題は二つあると思う。一つは、これまで明治維新以来150年近くにわたってスペシャリストの間接統治に馴らされてきたぼくら市民が、地域の問題、自分たち自身の問題を、「行政の問題」や「政治の問題」と捉えて、傍観者的にしか認識できないことである。そして二つ目は、そのことの裏返しとして、スペシャリストたちの側が、あまりにも自分たちの能力と専門性を過信して、市民にガバナンスを委ねることを躊躇するとともに、予算(税金)と権限を本能的に囲い込もうとすることである。

このように、市民にもスペシャリストにも問題はある。だが、現下の日本社会においては、人口と市場の急速な縮小化自体が急進的な「市民自治」の復活を求めているのではないだろうか。もはや高度成長期のような税金と労働力の潤沢が望めないとしたら、地域において市民が知恵と勇気と創造力を発揮して、人海戦術で課題解決に邁進する以外に手はないのである。鹿児島県鹿屋市の柳谷集落(人口300人)の人々が補助金に頼らず自分たちの手で運動公園や迎賓館をつくったように……。
(※DVDあり⇒http://www.mbc.co.jp/tokusen/yanedan/index.html)


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☆                    ★彡☆彡★彡
★【3】オバチャマは市民ライター (36)       ☆★彡
☆                             ☆★☆★彡
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         ■ 総選挙、言いたい放題〜ごめんあそばせ ■

                                         オバチャマ

政権交代がかかっていると思うと、たとえ、同じ穴のムジナの自民党と民主党の闘いでも、いつもと違うドキドキ感がある。まあ、小沢、鳩山両氏も元自民党なんだし、マニフェストが似てくるのは当たり前。自民の方に具体的数字が並ぶのは政権政党だったからだしね。

さて、18日衆院選公示。自民党の候補者一覧をみた。ええっ!日本全国、判別不能のそっくりおじさま勢ぞろい。小選挙区、比例代表合わせて326人。なんと、女性候補者はたったの27人。女性候補者ゼロの県が、青森から沖縄まで30県もある!神奈川県なんて17人も候補者がいて女性ゼロ。30県の女性の皆さんは、最初から男性に未来を丸投げしちゃってるわけね。選択肢ないもん。もっとも81歳の女性候補ってのもどうかと思うけど。後進に道を譲って、カッコよく勇退といかなかったのかなあ。

候補者のメンツは、オバチャマには民主党の方が魅力的。どっかの老人会みたいな自民に比べて、こちらは若い!しかもレディが46人。優秀な女性候補が増えたのは、民主党の円より子氏主宰「女性のための政治スクール」の功績じゃないかしら。毎年、全国から集まった女性たちが政治を学んで、生き生きと自信を持って巣立つわけね。ちなみに、党派には関係なく、また男性も参加できる。ここで手にするのは、理論と実行力と、仲間かな。

自民、民主とは全く違う方向の共産党、独自路線の社民党、各派から分かれた小政党もある。オバチャマは、基本的には宗教がらみの政党はちょっと……。政治家が個々に違った信仰を持っているのは構わないけれど、同じ宗教で集まったグループはキケンな感じがする。価値観が同じで結束が強く、権力者がうまれやすい。公明党の池田大作や、今回はじめて政党として届け出た幸福実現党の大川隆法ね。両党ともバックに破格の財力がある。全小選挙区に立候補者を立てた幸福実現党は、今回11億円以上の供託金を都合できたってことでしょ。オバチャマ、ひとつ素朴な疑問。「宗教と政治が同一になったとき、貴宗教に反抗する勢力を受容しますか、それとも排斥?」まずこれに答えて欲しい。宗教と政治。世界はいまもこれで揺れている。

とにかく、この一票は、やっと先人が手に入れてくれた大切な権利。無駄にしないで使わなきゃ。取り合えず、みんなの票を合わせれば、政治も社会も変えられる。絶対、変えたい!だ・か・ら、マニフェストを読み演説を聞き、意見に耳を傾け…考えて考えて考えて、30日は選挙に行く!もっと良い国にしたい!あれ〜!良いって?どんな???


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■【4】みどりを友だちに! (1) ☆彡
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          ◆ 「花から花へ」ムクゲの季節 ◆
                              
                                       かざりえみこ
                          
どこと限らず、まちなかの公園をぐるっと眺めると、たいがいどこかに1本か2本のムクゲが今を盛りと咲いています。ピンクだったり白だったり。何かの折りにムクゲの花を話題にしても「え? そんな花 咲いてる?」の答えが返ってくるのにもう慣れました。無意識に見る花、日常的な風景、になっているんですね。暑いさなか、花どころではないというのが本音かも。

ムクゲは「木槿」と書き、中国原産です。中国語では「ムージン」と読むとか。韓国では「ムグゥンファ」といい「無窮花」と書くとのこと。私はこの「無窮花」の文字が好きです。初夏から晩秋まで咲きつづけるムクゲの姿を見ていたら、この文字のなぞが解けます。個々の花は一日花で、朝咲いたら夕方にはしぼみ、翌日には地面に落ちてしまいます。細い枝に次々と蕾を付けては咲きつづけるムクゲの生命力の強さは、ぱっと咲いていっせいに散って終わりという桜とはじつに対照的です。ムクゲは韓国の国花、桜が日本の国花です。今日散っても明日また咲くムクゲの強靱さは、私にとって、韓国の歴史や「ザイニチ」と呼ばれながらも、たくましく笑いの絶えない友人一家の顔とかさなります。

このムクゲを中国の唐の詩人白楽天がその詩の中に「槿花一日自成栄」と詠じて、ムクゲの花をはかないもののたとえにしています。江戸時代の小林一茶は「それがしもその日暮らしぞ木槿花」と詠んでいます。日本の文化人は奈良時代よりこの方、唐詩を学ぶことが必要条件でしたから、一茶もこの詩を意識していたに違いありません。文学表現の手法として一茶が貧しさをウリにしているのを、また! と苦笑しつつ、一方でムクゲに共感する表現の巧みさには感動します。

こむずかしいことはさておいて、午前中の早いうちににムクゲの花を実際に見てみませんか。ご近所を歩けば、公園や垣根に、また通りに面した庭木としてお目にかかれるはずです。夏はノウゼンカズラ、サルスベリあるいはムクゲがおもな花木ですが、ムクゲは枝が刈られても刈られても芽を出しますから、ずんぐりむっくりとした樹形が特徴です。花は、純白から、濃いピンクの八重咲きまで多様ですが、芙蓉やハイビスカスと似ながらも違うところがあり、花好きの人びとの心を千年以上もの長い間くすぐり続けてきました。まっ白な花弁の底が紅い宗旦ムクゲが私の好みですが、一本ごとに土のせいなのか、花の大小や底の紅色の濃淡などにも個性があります。よその花を見比べて歩くのもけっこう楽しいものですね。


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■【5】自分史「大阪ベイエリア」(10) 大正区編
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               〜 弁当屋 2 〜
                                         トミ〜さん

昭和44年3月1日、大阪給食株式会社の厚生年金資格取得日である。製版会社の厚生年金資格喪失から38日後である。住所は大阪市大正区泉尾5丁目である。給食会社へはバスを乗り継いで通勤していた。昔は西区本田から東に向かう長堀通りには、道路の上の架線から電力の供給を受けて路面を走るトロリーバス(無軌条電車)も走っていた。現在も大正区民の移動手段はバス路線に頼っている。大正区は木津川と尻無川の三角州として誕生した。区の玄関口JR環状線と地下鉄鶴見緑地線(当時は未開通)の「大正」駅までは、徒歩か市バスを利用しなければならない地形になっている。そのため今も昔も市内有数のバス路線をかかえている。朝夕のラッシュ時には市内でも珍しい「急行バス」も走っているので、たまに自分が降りる停留所に停まらず焦っている乗客も見うけられる。

大阪給食の2年間は楽しい毎日であった。もちろん仕事が終われば定時制高校(大阪市立西第二商業高校)にも通っていた。同時に未成年でありながら酒もタバコも覚えた時代であった。少し大袈裟な言い方をすれば、この時代の経験が私の性格や人生観を形成したとも言える。当時17歳の私は、給食会社では最年少の社員である。会社では調理人や荷捌き仕分け、運転手は男性が多く、栄養士や配膳、洗い場などは女性が多かった。弁当の盛り付けや回収された弁当箱の洗浄は、ほとんどが女性であり高齢者も多かった。私から見ればおばちゃんであり、おばちゃんから見れば私は自分の子どもみたいなものであった。私の名前は「孝」一文字である。名前の由来は親孝行の孝(こう)とよく聞かされた。家も会社も「たかちゃん」と呼ばれていた。

弁当の盛り付けも技術がいる。調理された料理を調理人の意と反する盛り付けにすると、料理のうまさがなくなる。そのため盛り付けの見本が調理人によって作成され、盛り付ける順番も決まっている。せっかちなおばちゃんが多いせいか、たまに調理人とおばちゃんたちはもめていた。はじめの頃は見よう見真似で盛り付けをしていたが、慣れると一つひとつの弁当に愛着を感じてくる。当時の弁当箱はおかずとご飯が別々のものと、一つのものとがあった。弁当箱の大きさはまちまちだが、私が今の会社で注文している弁当は、当時の弁当箱よりおかずの入るスペースは大きくなっている。おかずは、主采と副采、香の物とで形成されるがスペースが狭ければ盛り付けにも工夫がいる。料理の素材を生かし、食する人が「うまい」と感じてもらうため「バラン」やアルミ容器を使い弁当を仕上げる。

弁当の盛り付けの傍らで職人の技も盗まなければならない。煮物や汁物などの味付けなどはまだまだ先の話だ。料理の手順などもすぐに覚えられるものではない。しかし私は覚えようとする気持ちと若さがあった。時間があれば先輩に聞き、できることから進んでやった。「じゃまや!」と叱られたことも度々あった。昔は週休二日制の企業も少なく、土曜日は「半ドン」の会社もあったが結構弁当の注文も多かった。さすがに日曜日は弁当の注文も少なく、ほぼ決まった数であった。そのため、日曜日に出勤する職人やおばちゃんも少なかった。

好奇心旺盛な私は進んで日曜出勤を申し出た。理由は、日曜日に出るといろんなことを覚えることができたからである。たまに職人が出ないときなどは、もちろん煮物などの味付けを伴うものは調理出来ないが、フライ物やスパゲティーやサラダ、出来合いの物(卵焼き・ハム・かまぼこなど)を盛り付ける程度であれば自分一人で弁当を作成した。もちろんご飯の炊き方も事前に教えてもらっていた。たまに水加減を失敗し無駄にすることもあったが許してくれた。ただ、今から思えば「お客さん」は、このような裏話など知らずに食していたのだろう。弁当を作り、気の合う運転手とドライブがてらの配達もした楽しい時期だった。この時代がなければ今の自分はない。大好きな街「大阪ベイエリア」。


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■【6】チョットかがく(9)         ☆彡
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                  ■  野菜考  ■
                                           OHE


化学肥料よりも天然の有機肥料で、無農薬や減農薬で栽培された野菜が慣行の栽培のものよりも栄養価が高く、安全であると信じ、少し高価であっても、それらにあこがれる人は多い。現在、農産物の栽培方法はJAS法によって、 1.有機栽培のもの 2.特別栽培のもの 3.特に基準はない慣行もの(JAS規格とは一切関係ない) の3種類に分けられている。これらの違いは、なかなか理解しがたいものだが、このような差別化ががいかほどの意味あることか考えてみよう。

  1. 有機栽培 : これには"トレーサビリティ"という考え方を導入している。問題が発生した農作物の履歴が追跡でき、原因解明がしやすい。そのため、栽培中の記録が欠かせなくなっている。また外部の検査員による検査を受け、認定機関から"有機認定"を受けなければならない。基本的には工業製品の国際規格である各種のISO規格やBSEで問題となった牛肉について、牛の由来や餌などが分かるようにすべての牛を管理するのと同じ考えに基づいている。有機栽培の基準は、堆肥等による土作りと、無農薬、無化学肥料で2年以上経過した土壌での栽培である。
  2. 特別栽培 : 従来の生産方法よりも農薬と化学肥料の両方とも削減した栽培である。化学肥料の使用回数が当該地域で使用されている回数のおおむね5割以下で、農薬の使用回数が当該地域で使用されている回数のおおむね5割以下と定められている。基準が明確でないように思われる。これには有機栽培のような生産管理をする必要はない。
  3. 慣行栽培 (特に基準はない) : これはJAS規格とは一切関係ない。なにも表示されていない一般の農作物の栽培方法である。

1、2については野菜に付いたラベルへの表示方法が法律で定められている。

それでは、本当にこれらの栽培方法の違いが農産物の安全性や栄養価に違いをもたらすか考えてみたい。

野菜に含まれるビタミンや糖類などの栄養分は旬ものが季節外のものより、あるいは露地物がハウス栽培のものより、完熟物が完熟前収穫の物より多い傾向にあることが知られている。それでは有機無農薬栽培のものが慣行栽培より優れているだろうか。これについては世界の政府機関より提出されたいくつかの報告がある。健康上の利点につながるような、大きな違いがないことをいずれの報告も指摘している。むしろ、野菜の鮮度や栽培されている温度や日照等、気候による影響が大きく影響しているようである。

野菜を含む全ての食品の残留農薬については食品衛生法の残留農薬等に関するポジティブリスト制度で規制されている。通常の農薬は毒性試験等より求められた安全基準を超える場合、さらに安全基準が設定されていない、たとえば輸入品にたまたま含まれる日本では使用されていないリストにない農薬についても一定量(0.01ppm)以上含まれるものについては流通が禁止されている。また、使用する農薬は毒性や環境へ悪影響を及ぼさない、残留性の低いものに限られている。少なくとも農薬取締法や食品衛生法が守られていれば慣行栽培の野菜が無農薬栽培野菜に比較して危険ということにはならないと思われる。

「有機」や「農薬」についての製品表示を目安にするJAS法に対して、誰が、どこで、どのように栽培しているか、分かっているものを食べる"地産地消"が広がりつつある。これならば、工場生産品と同じような表示や管理による"品質管理"と"お墨付き"が無くとも、お互いの信頼の中で安全性と味覚を確保できる。安全な野菜を手に入れる方法として、こちらの方がずっと有効な手段だとは考えられないだろうか・・・・・・・。


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■【7】福祉教育語りの会 ☆彡

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《福祉教育語りの会とは》

障害者が、小・中学校及び高校などあらゆる場所で、受障の体験を話したり、どのようにして再出発したかを《語る》ことは、「子供たちに障害の理解と《生きる力》と《思いやる心》」を育てるきっかけになると考えています。社会にはいろいろな人がいて、それぞれの存在を認め合って生きていることを知るきっかけにしてほしいと願っています。このような「思い」から「福祉教育語りの会」は設立されました。

(1)盲導犬に出会って
(2)全盲の保育士の是非を考える

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(1)盲導犬に出会って

                          大阪市福祉教育語りの会 山本美恵子

私は28歳で完全失明し、悶々として引きこもっていました。その私の気持ちを外に向けてくれたのは二人の息子たちの存在でした。不安や恥ずかしさを捨て、白杖歩行に挑戦し、限られたところだけでしたが料理や編み物、ミシン縫いの講習会にと何とか一人で出かけられるようになりました。しかし、それは失敗も多く緊張の連続でした。帰宅すると、もうくたくた、眼圧が上がって病人の様に寝込んでしまうこともありました。

そんな頃、日本でも盲導犬が育成されて、盲導犬歩行をしている人があることを聞きました。一人で自由に行動したい、そして動物好きな私は、なんとか盲導犬を取得できないかと思っていた矢先、講習会に盲導犬と共にさっそうとやってきた女性に出会ったのです。早速色々な話を聞かせてもらって、すぐに盲導犬の貸与を受けるべく日本ライトハウスに申し込みをしました。

5年近くたった1982年の1月、念願かなって1頭目の盲導犬に出会うことができました。出会うなり胸に飛び込んで来て、ちぎれんばかりにしっぽをふってくれたその子はお茶目でかしこくとってもかわいい盲導犬でした。初めてハーネスをつけて一歩踏み出すと、その後は結構なスピードでスムースに案内してくれました。まだ目がよく見えていた幼い頃に、近所の田んぼや畑のあぜ道を駆け回った自分の姿を思い浮かべました。これからはいつも私の側にこの子がいてくれる。その感動は胸一杯に広がりました。

一ケ月の共同訓練を終えて我が家に帰った私は、それから毎日街中を歩きました。日に日に行動範囲が広がり、その歩行はスピーディでほとんど危険もなく快適なものでした。しかしどんなに素晴らしい訓練を受けた盲導犬でも、ユーザーとなったからにはその訓練の基本を守らなければなりません。盲導犬の世話は全て自分でやらないと歩くだけでは信頼関係が生まれません。周りの人がやさしい声をかけたり、食べ物を与えたり、相手をしたりすると、盲導犬は仕事を忘れてしまいます。ですから盲導犬との歩行中は食べ物を与えたり相手をしたりせず、静かに見守っていて欲しいのです。

盲導犬はたとえ道に迷った時でも危険な所へは行きません。それでも信号の色を見分けることはできませんし、ユーザーが、正しく行き先の地図を理解して命令しないと道に迷うこともよくあります。困っている様子が見えたときは白杖歩行の人同様にぜひ声をかけて下さい。そして手を貸して下さい。盲導犬と出会えた私は行動の自由が得られて、行きたい時に行きたい所へ単独歩行で行けるのです。この幸せをかみしめて健康でいられる限り、依頼があれば、学校やいろいろな集まりに、盲導犬や障害理解の啓発に出かけて行きたいと思っています。

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(2)全盲の保育士の是非を考える

                      大阪市福祉教育語りの会 鈴木昭二「全盲」

福祉教育語りの会は2006年夏に発足し、今年で4年目になる。
7月定例会でのこと。いつものように自己紹介と1ヶ月の活動報告を終えた後、最近ニュースになった全盲保育士の話題を議題に取り上げた。

新聞報道によると、大阪市の昨年度の保育士採用試験で、受験資格を満たしている全盲の女性が点字での受験を認められず、門前払いされていたことが、関係者への取材で明らかになったという。

定例会では、視覚障害を持っている人が、保育士になることについてどう思うかを議論した。

●賛成派の意見
  • 働ける能力があるのだから、働けるようにしてほしい。
  • 小さい子は先生の目が見えないことが理解できないと思うが、他の先生のサポートがあれば仕事にさしつかえないと思う。
  • 今までに全盲夫婦で子供を育てている人をたくさんみてきたので不安はない。
  • 中学、高校、大学では視覚障害の先生はたくさんいるが、保育士ではいない。どんな人でも職業選択の自由があるのだから改革していかないといけないと思う。
  • 小さい頃から障害を持った人やいろんな人とふれあえる環境は子供にとっていいことだと思う。

●反対派の意見
  • 小さい子ほど身振り手振りでの表現が多いから、目が見えない人だとコミニケーションが難しいと思う。
  • 行政的には了解が出ても、親の不安が多いと思う。
  • 危ない行為を事前に認めにくい。

私が思うに、視覚に障害があったとしても、適切な「配慮」があれば、子供の「安全」は確保できると確信している。賛否を問うと、出席者12人のうち、賛成7人反対5人だった。後日の報道によると、大阪市は全盲保育士の受験を認めたとあった。ノーマライゼーションとかバリアフリーだとか言われて久しい。しかし現実はまだまだ職業の差別は存在している。もっともっと障害者から発言や行動を起こさなければならないのかと残念な気持ちになった。


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■【8】私のこの一本
□    DVD「それでもボクはやってない」   ☆彡
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                                              スー
 
裁判員制度の最初の公判が東京地方裁判所で8月に行われた。まだまだ問題は多いと思われていただけに、「心配していたほどの問題もなさそうだ」と思わせるようなスタートとなった。しかし、本当に問題ないのだろうか?

この映画は、2年あまり前に公開されたが、その時は見逃してしまった。裁判員制度が始まったこともあり、「そうそう一度観ておこう」ぐらいの軽い気持ちであった。しかし、裁判までにどのようなことが行われるのかを知るだけでなく、人が人を裁く難しさを示唆してくれる、なかなかの作品だ。

痴漢冤罪の裁判の話なのだが、100%やっていないという確実な事実がない限り、ほとんどが有罪になるようだ。裁判官は多くの経験から「だまされないぞ」という感覚を持つようになり、有罪の判決を下す傾向があるそうだ。映画の中の裁判官は、「なんとなく嫌なヤツ」に描かれおり、一方主人公は「とてもいい青年」で自分の無実の罪を晴らそうと必死に戦っている。私は、短絡的に「裁判官は事実を見ていない。青年は絶対無罪だ」と思っていた。

しかし、怖いのはこのところだ。周防正行監督のインタビューでの「この映画って真犯人が誰かもわからないし、ホントは被告人かもしれないし、他の誰かかもしれない・・(中略)。少なくとも被告人が犯人かどうかは被告人本人にしかわからない」ということばに、はっと気付かされ、妙に納得したのだ。http://www.at-s.com/html/cinema/movie_topics/soreboku/061212.html 
確かに、映画の中でも真犯人が別にいるわけでもなく、本当に無実だという証拠もなく、観る側が勝手にそういう印象を持ってしまっているのだ。自分の持った印象で、人が人を裁くことになるのだ。

映画の冒頭に、「10人の真犯人を逃がすとも、1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」ということばが映し出される。確かな証拠がない限り無罪にすべき、という人を裁く際の基本姿勢なのだが、実際はそうなっていない現実にも怖さを感じる。例えば、和歌山のカレー事件では、真須美被告がカレーにヒ素を入れたところを誰も目撃していないのに、限りなく疑わしいということで、ほとんどの人が「絶対彼女がやった」と結論づけている。改めて人が人を裁く難しさを思った。

本題ではないが、驚くのは痴漢で訴えられ、自分は無実だと否認すると、無条件で23日も拘留されることだ。それ以外にも、最近の足利事件での菅家さんの取り調べで問題になっていたような、取調べや調書の書き方など恐ろしくなるような状況が描写されている。描かれているのが事実に近いものであれば、一般の人が何らかの誤りで捕まったら本当にどうしようもない状況に置かれることになる。日本の「刑事裁判」に潜む問題にも私たちが関心を寄せないのであれば、裁判員制度は市民参加のアリバイづくりをさせられることになってしまいかねない。


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■【9】からだを散歩すると (6) ☆彡
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               ■ 肩 ■
                                        竹藪 耶桁

野球のことはよく知りませんが、「良い肩をしている」と言って選手を誉めますね。ボールを投げる力があって、それをうまく使えば、「肩」のおかげなのでしょう。

肩は呼吸器官ではありませんが、苦しいときは、「肩で息をし」ます。
世間に対して申し訳ないときには「肩身が狭く」なって、顔が上がりません。
競争相手と張り合うときは、「肩を並べ」ますし、味方になって援助をするときは「肩を持ち」ます。
分が悪くなれば「肩をすぼめ」るし、人を威圧しようとすれば「肩をいからし」ます。
そうしてますます威勢が良くなれば「肩で風を切って」歩きます。
まあ、ここまでエラクなくてもいいのに、という人がたまにいますね。
                  


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★【10】 編集後記                     ★☆★
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住まいはマンションの4階。マンションのすぐ西側に川が流れているからか、今年の夏はいい風が吹き、夜もガラス戸を少し開けて寝ると、暑くて夜中に目が覚めることもない。おかげで今日までクーラーを一度もかけていない。しかし、こうなってくると、少々暑くても今年はクーラーをかけないぞと少し意地になってきた。頑張るぞ!(スー)
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