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掲載記事索引

◇市民ライターどんどん
◇地球を見つめて〜なんちゃって
   ……かざりえみこ
市民ライターのキモ
  その真実と技術
   ……吐山継彦
オバチャマは市民ライター ……オバチャマ
ラム 
脱サラ議員奮闘記
…山根一男(可児市議会議員)
関西弁だば、まんづ わがんね
   ……秋田おばこ
ライティング情報あれこれ
◇参加レポート「行ってきました」
◇三反農家の米作りノート
     ……平田泰史
◇わが町中津を語る
    ……霊崎(たまさき)
◇お薦めメルマガ勝手に紹介
◇お薦めのこの一本
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2冊の本が出版されました!





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☆★☆★
★☆★ 書く力、書く参加!
☆★
★          市民ライター通信
☆ 2008.10.20
---------------- http://f-ts.bb4u.ne.jp/~writer/  ★ 第61号★☆★
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■まいど おおきに!■
 この間までまだまだ暑い日が続くと思っていたら、夜などは薄いコートが欲しいと思う季節となりました。本を読むにはとても快適な気候ですが、ご自分の思いや普段感じていらっしゃることをご投稿をしてみるのは、いかがでしょうか?ご投稿お待ちしています。


////////////////////■□■ も く じ ■□■////////////////////


【1】市民ライターどんどん(44)
    私たちがつむいでゆきたい「フリースクール」
           …………… フリースクール・フォロ代表 花井 紀子
【2】地球を見つめて〜なんちゃって(61) 
    金木犀(きんもくせい)のタネ   ……………… かざり えみこ
【3】オバチャマは市民ライター (28)
ネット殺人予告「小女子事件」の判決どう思う?   …   オバチャマ
【4】私のスピルチャル体験 第18回  ……………………… 有明弥
【5】書評 
    『暴走する資本主義』と『ベーシック・インカム』……… thayama
【6】私のこの一冊
    「リリィー、はちみつ色の夏」 ……………………………… スー
【7】秋田弁だば まんず おもしれー 
    右で握る?  ……………………………………… 秋田おばこ
【8】詩
    さらし物 …………………………………………… 井上 達也
【9】詩
    喜び ……………………………………………… 陣内 三朗
【10】編集後記

                     
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■                                  ★彡☆彡
□【1】市民ライターどんどん (44)            ☆彡
□      フリースクール・フォロ代表 花井紀子 PartII
■                ★彡
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     ◆ 私たちがつむいでゆきたい「フリースクール」 ◆

 子どもどうしであれ、おとなどうしであれ、子どもとおとなの関係であれ、その自然なフツウの関わりあいやつながりを、いつもいつまでも大事にしてゆきたい。学校復帰云々とか子どもの主体性云々とかいう前に、小さな人も大きな人も、ひとりの人として関わりあって生きあってゆくという、ごく当たり前の関係をつむぐ試みを、ささやかながら貫いてゆきたい。学校の出席日数が多いのが偉いとか、指導要領に則った「学習」をこなしてゆけるから賢いとか、KYはダメだとか、学校社会を軸とする価値観から解放された関係を、こころの底から望みたい。

 フォロというフリースクールを7年やってきて、あらためてそう思う。「年長者だから小さい人に何かを教えてあげられる」とか「この年齢だったらこれくらいのことは・・・」とか、私自身が小さな頃から何年もかかってカラダに沁みこませてきた、学校社会に軸をおく価値観。そうやすやすとは解消しない。けれど、学校とか社会常識といった「枠」から少し距離をおいて暮らしてみようと決めたら、ココロの縛りがいつのまにか軽くなってきた。カラダの中から出てくる声に耳を澄ますことは、とても心地いい。変わらず貫きたいと願う心の中の軸も、ブレたり揺らいだりしつつ、見えやすくなってきた。

 フォロが始まった頃から考えてみると、「活動をいっしょにつくりあう」という言葉に、子どももおとなたちも、リアリティがなくなったように感じる。フリースクールが、「学校」を相対化した活動や学びの場として生まれ出てきた経緯もあるけれど、「活動」や「学び」の前に、「今、ここにいる」だけで精一杯。「生きてる」ことに精一杯。子どももおとなも、そんなギリギリまで追い詰められてしまった。それをも、昨今では「自己責任」と片付けられてしまう。他人とのちょっとした差異にピリピリさせられ、不安定でおびえが常に伴う。同じ場にいて呼吸をともにしていても、いっしょに生き合っている安心感が薄い。人ひとりの持ちうるエネルギーって、時代や社会状況によって、たぶん、そんなに変わらない。外に開かれにくい社会のなか、他人に踏み込みにくくなった分、自己の内側に向かって膨大なエネルギーがくすぶらざるを得ない。世の中に「多様性」「個別化」なんてもっともらしいコトバは氾濫しているのに、どの世代も孤立を強いられていると感じる。

 「フリースクール=場」の運営には、お金がかかる。お金になることと、お金にはならないこと。その択一で言えば、フォロは限りなくお金にならないことに向かって邁進していくという矛盾を抱え続けるのだろう。子ども・若者、「しょうがい」をもつ人、女性、年とった人・・・少数側に立っているあらゆる立場の人。いつの時代も弱い立場の人のもとには、お金がめぐって来にくい社会構造がつくられている。

 これからもフォロは、人と人とか立場を超えて、生き合う実感の持てる関係をつむいでゆける場としての模索を続けてゆく。


※フリースクール・フォロは、学校外の子どもたちの居場所です。学校に行かないからといって否定されることなく、子どもたちが自由に、自分たちが中心となって創っていく場所です。
フォロURL: http://www.foro.jp/


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□                          ☆彡
■【2】 地球を見つめて〜なんちゃって(61)    ☆彡
□                    ★彡   
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        ◆ 金木犀(きんもくせい)のタネ ◆
                              
                                     かざりえみこ
                         
とうとう金木犀の季節が終わってしまいました。枝にぎっしりと花がついて、咲き誇っていたのに、もう跡形もありません。寂しいものです。毎年のことですが好きな花の季節がめぐり、また去っていくことで、心が揺れるものです。


金木犀は、小さな一輪が開きかけただけで、あたりに甘い香りがただよいます。かつて友人の家で桂花酒をご馳走になったことがあります。金木犀の大木が庭にありますので、5〜6分咲きの朝に花をざる一杯ほども摘み取って、氷砂糖と焼酎で一年寝かしたとのこと。中国の桂州が原産地という意味の「桂花酒」は、黄金の色と馥郁とした香りを閉じこめていて、飲みほすのが惜しまれました。友人は、香りの成分はこれとあれと、と教えてくれたのですが、化学に弱い私のこと、聞き慣れないカタカナは右の耳から左の耳に抜けてしまいましたし、またその成分がそもそもどういうものなのか理解できませんでした。花を乾燥させて枕に入れて寝たら、熟睡できるうえに長寿を保つまじないにもなるそうです。すこし赤みのかかった硬質の黄金色の花は、数日でポロポロと惜しげもなくこぼれ散りますから、天候をにらみながら摘むタイミングも大切な要素になるわけです。

私は、一度で良いから金木犀のタネを見てみたい、タネがほしいと長年思っていました。実際に木を観察したこともあるのですが見つかりません。それもそのはず、先日何気なくみたWikipediaで、金木犀は雌雄異株なのに、日本には江戸時代に中国から雄株しか入って来なかったために花が咲いても結実しない、とありました。今まで知らなかったとはいえ、知ったばかりに、楽しみがひとつ消えて残念な気がします。

ところで、金木犀といえば即、トイレの芳香剤を連想するので、あの花は嫌いという人がかなりいるのには驚きます。これは、私が出会った人たちから聞いてみた結果です。そういえば、匂い、香りに対する流行ってあるものですね。一時は強烈な芳香剤で、忌み嫌うもののにおい、たとえばトイレや部屋にこもるたばこ、玄関の履き物、ペットなどのイヤなにおいを紛らわそうとしたようですが、最近はにおいでごまかさないなどとうたって、消臭剤というのが多くの消費者の支持を得ているようです。

なにはともあれ、年に一度の金木犀との出会いは、この秋もうれしいものでした。


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☆                    ★彡☆彡★彡
★【3】オバチャマは市民ライター (28)       ☆★彡
☆                             ☆★☆★彡
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     ■ ネット殺人予告「小女子事件」の判決どう思う? ■ 
          
                                         オバチャマ

無職の青年が逮捕されたふたつのネット殺人予告事件。Aは威力業務妨害罪、Bは脅迫罪。ふたりの罰は公平か。オバチャマは、どうも腑に落ちない。

6月に起きた「小女子(コウナゴ)事件」を知ってる?ネット殺人予告としてAが逮捕され、さいたま地裁で裁判。威力業務妨害罪で懲役1年6月の実刑、執行猶予なしの厳しい判決を受けた。罪は、Aがネット掲示板2chに下記の書き込みをしたこと。

http://mimizun.com/log/2ch/heaven4vip/yutori.2ch.net/heaven4vip/kako/1
214/12147/1214732232.dat より抜粋
  Aの書き込み:明日午前11時に丹後小学校で小女子を焼き殺す
           おいしくいただいちゃいます
すぐあと、「日時の明確な指定・具体的な場所の指定・殺害すると明記、小女子←小学女とも解される。こりゃあ完全アウトだ。バイバイとりあえず通報しとくわ」と書き込まれ、
  A:もうやめて ほんとゴメン 通報とかしないで、と書き込む。

「一切嘘です ご迷惑をおかけしました 小女子とは「コウナゴ」の事ですシャレですと言っておいた方がいい!まだ間にあうから!」「気落ちせず頑張れ  オマエのは明らかに犯罪予告なのよ。訂正とお詫びを入れろ」など様々な書き込みあり。Aは、「小女子」とは小魚コウナゴのことだと説明を書き、さらに、
  A:ごめんなさい こんなことになるとは思わなかった 実際にやるつもりは無いですと書いた。

通報により逮捕。威力業務妨害罪。「掲示板を盛り上げようとしてやった悪質な愉快犯で、児童約490人に、5日間にわたり集団下校させるなど、同校教諭らの業務を妨害」(検察側主張)学校の対応はふしぎ。自宅パソコンからの発信はすぐ特定じゃないの?5日間もの集団下校。逮捕に5日もかかった?

一方、Bの罪は、オンライン百科事典の被害女性のページに、「○○ふざけんなよ 8月10日に殺します。場所はてめぇの家だ」と書き込み、HP掲載のアドレスには「こっちはうらみがあります。殺してやるから待っててね」などと、脅迫メールを何度も送ったこと。女性に恐怖を与え、脅迫罪。懲役1年、執行猶予3年つき。

2chのやり取り全体を読めば、Aがコウナゴを「小女子」と書くことを知り、面白がって悪乗りした事がわかる。余程の悪意をもって一部分だけを抜き出したのでなければ、殺人予告には程遠い。Aの裁判を担当したさいたま地裁の裁判官は、Aの態度に非常に感情を害し、罪を憎むより人を憎んだ。疑わしきは罰せずではなく、疑わしきを罰したようだ。Bの東京地裁の裁判官は「実家に戻って、自分の行く末をしっかりと見据えて、努力するところは努力し、我慢するところは我慢して、しっかり生きていってください」と判決後にいい、閉廷直前、「更生されるのを、裁判所は待っています」と被告に大きな声で語りかけた。

脅迫したBには執行猶予。何も行動していないAには懲役1年6月の実刑。この異例の厳しい判決は、見せしめなのか。判例はつぎの裁判に生かされる。考えただけ話しただけで、何もしなくても刑務所にぶち込まれる。ネットに密告者の影在り。恐くて何も言えない。通報者も悪質な愉快犯じゃないの?ネットのちょっとした言葉を捉えて密告し、罪に陥れて楽しんでいる。威力業務妨害罪の恐さを世に知らしめた「小女子事件」の判決に、オバチャマは異議在り。アナタはどう思う?ちなみに、この事件の頃は、殺人予告もどきをしてしまった人へのお助けサイトだった「予告in」<http://yokoku.in/> は、衣替え。犯罪防止に役立ててもらう狙いだそうで、ネット上の関連キーワードで勝手に自動収集。密告の最先端をいっている。


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★                  ☆彡             ★彡   
☆【4】私のスピりチャル体験 第18回  ☆彡  ★彡
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                                          有明弥

 関西レインボーパレードが、今年も開催されます。その目的は、セクシャルマイノリティの人口比率が5パーセントぐらいと推定されるので、パレードを通してだれにとっても身近な存在であることに気づいてもらい、多様性を受け入れることのできる社会を築くためです。当事者と支援者が参加します。

 色々な説がありますが、LGBTパレードの起源は、アメリカ会衆国ニューヨーク、グリニッジ・ビレッジの一角クリストファー・ストリートにあるゲイバー「ストーンウォール・イン」に警察の弾圧的手入れが行なわれ、抗議行動に発展し、その翌年(1970年)に行われた1周年記念デモです。現代、世界に広がる性的小数者の近代行動の始まりといわれています。

 その警察の踏み入れが、折しも当時ゲイに絶大な人気があった女優ジュディ・ガーランドの葬儀の夜と重なったこともあり、弔問に集まっていた多くのLGBTたちが、警察に反発・抵抗し、数千人規模の暴動に発展し、以後3日間にわたる抗議行動となりました。これが、The Stonewall Riot(ストーンウォール暴動)もしくThe Stonewall Rebellion(ストーンウォールの反乱)と呼ばれています。結果としてこれが世界の同性愛者運動を一気に推進する大きな契機となりました。この暴動の時に、警察官に抵抗した手段が、トラスジェンダー、レズビアンが投げた「ヘアピン」でした、「ヘアピンが落ちる音が世界中に響きわたった」という言葉も残されています。

 私は今回で、3回目の参加になります。つまり三年たったことになります。今は、ホルモン治療をしながら、自分の身体と心の変化に戸惑いながらも、楽しんで日々を過ごしています。一番の変化は、少しですが胸が張り痛いことで、気分は男を演じている感じです。

 振り返れば、長くもあり、楽しくもありました。でも今は、これからの自分の不安と希望を大切にしていきたいと思っています。 


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■【5】書評
□     『暴走する資本主義』と『ベーシック・インカム』    ☆彡
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                                         thayama

 最近、相次いで表題に掲げた2冊の本を読んだ。
 『暴走する資本主義』(東洋経済 定価2000円+税)の著者は、クリントン政権時代に労働長官を務めたこともある、カリフォルニア大学バークレー校のロバート・B・ライシュ教授。英文タイトルは『Supercapitalism〜The Transformation of Business, Democracy, and Everyday Life〜』となっており、和訳すると『超資本主義〜ビジネスと民主主義と日常生活の変質〜』。日本語の題名は、いかにも大手出版社の敏腕編集者が拡販のために付けたものらしく、なかなかセンセーショナルで売れそうな良いタイトルである。ただ、内容を的確に表わしているのは原題のほうで、70年代からの資本主義の変質について書かれた本である。

 『ベーシック・インカム』{現代書館 定価2000円+税}の著者は、ドイツ人のゲッツ・W・ヴェルナーというドラッグストアチェーンの経営者である。そのチェーン展開は全ヨーロッパに及び、堂々の多国籍企業であるという。副題に「基本所得のある社会へ」とあり、全てのドイツ国民に年齢に応じて何がしかの基本所得を保証すべきだ、との論旨が展開されている。荒唐無稽な主張のようにも思えるが、読んでみるとなかなか説得力がある。なぜ、大企業の社長がベーシック・インカム制度を推進しようというのか、大変興味のあるところである。

 さて、では、もう少し詳しくこれら2冊の内容を紹介することにしよう。
 『暴走する資本主義』の論点は、グローバルな市場経済はなにも80年代にレーガンとサッチャーが新自由主義を掲げて金融改革などを進めたからではなく、60年代後半から70年代以降に起こった数々の技術革新によるものだ、ということである。例えば、鋼鉄製のコンテナ運輸システム、インターネット、グローバル・サプライ・チェーン等々のイノベーションによる下部構造の変質が根底にあり、新自由主義という上部構造がもたらされたのである。この辺りは読んでいてマルクスを思い出した。

 とても面白いのは、ベトナム戦争激戦期に、何十万人という在亜の米軍将兵に必要物資を送るために考案されたコンテナ・システムが輸送量の飛躍的な拡大をもたらし、それが結果的に市場のグローバル化を急伸させた、という事実(統計など)に基づく指摘である。コンテナがなかった時代は、木製のケースで物品が輸送されており、効率も運輸量も鋼鉄製のコンテナの比ではなかった。米国からコンテナでベトナムなどへ物資を送ったあと、空のコンテナに日本で衣料や家電製品等を積載したため、日米間の貿易が増大した。これが経済のグローバル化の端緒だったとも考えられる。

 『ベーシック・インカム』の主張するところは、そうしたグローバリゼーションによるドイツ国内の、とくに若者たちの失業率の増加と、そのことに起因する貧困化という問題を解決する方策として、基本的生存権をベーシック・インカムによって保証しよう、ということである。いちばん問題になるのは財源であるが、著者のヴェルナーによると、段階的に消費税(付加価値税)を増大することによって可能であるという。その代わりに、生活保護費などの福祉に費やされるや税金はなくなる。所得税も法人税もゼロとなる。また、それらの管理コスト(官僚の人件費等)も激減する。

 ヴェルナーの主張で「なるほど」と納得させられたのは、所得税や法人税な
ど、稼ぎにかけられる税金は、付加価値を生んだことに対するものだが、消費
税は人間が消費した場合にだけ掛けられるものである、という論点である。多
く消費する者はそれだけ多くの税金を払い、少なく消費する者はそれに応じて
少ない税金ですむ。

 またもう一つ興味深い主張は、「働く」ことと「収入」との相関関係の解体の必要性についてである。働くことと収入が密接していることによる弊害は、人間が稼得労働に対して過大な意味を付与することである。その典型が、「働かざる者、食うべかざる」という主張だ。この考え方が現状に即していないことは自明であろう。働きたくても働けない人たちはたくさんいる。失業者、重度の障害者、子育て中の女性……等々。つまり、生活の糧を得るために働かなければならない、という人類の桎梏から今こそぼくらは解放されなければならない、というのがヴェルナーの議論である。食うためではないが為すべき仕事(work)は、ボランタリーな市民活動や老親の世話、家庭における子どもの教育等々、山ほどある。働かなくても食えたら人は働かないだろう、という人間認識は的を射ていない。

 両書を通読しての感想は、時代のパラダイム転換ということである。第二次大戦で数千万人の人が死に、アメリカ本土を除いて、日本でも欧州でも多くの生産手段が失われたあとの、1950〜1970年代にかけての世界的な経済成長と“完全雇用”の神話は、完全に霧散した。しかし、機械的な生産力は増大しており、それに反比例して従来的な労働(labor)への需要は減少の一途をたどっている。好むと好まざるとに関わらず、どの分野においても大胆な発想の転換が求められているようだ。


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□                          ☆彡
■【6】私のこの一冊
□    ヌー・モンク・キッド著 「リリィー、はちみつ色の夏」   ☆彡
■                             ★彡 
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                                         スー
                               
 不登校になった少女が、祖母としばらく暮らすことで生きる力をつけていく物語である、梨木香歩著の「西の魔女が死んだ」が、数ヶ月前映画の上映と相俟って大きな話題となった。
 しかし、私のお薦めは、米国の作家ヌー・モンク・キッドが書いた「リリィー、はちみつ色の夏」(The Secret Life of Bees)だ。主人公は、14歳のリリィーとたぶん50歳ぐらいと思われる女性オーガスト。何事にも自信が持てず愛に飢えている少女リリィーが、偶然オーガストと共に暮らすことになり成長していく話は、「西の魔女と東の魔女」にどことなく似ている。日本では、全く話題にならなかったようだが、米国では2003年ベストセラーになり評価も高い。

 舞台は、公民権運動が盛んであった1964年のサウスカロライナ州。リリィーは、母がすでに他界しており父親からは愛されず、少女らしい格好もさせてもらえず、学校では級友から阻害されていると感じている白人の少女である。ある事件の後、家の面倒を見ている黒人のロザリンと家を飛び出し、養蜂家の黒人姉妹の家に住み込みで働くことになり、徐々に人から愛されること、そして人を愛すことを通じて徐々に自信を持っていく。しかし、黒人差別が歴然としていた1960年代に白人の少女が、黒人たちにより心を開かれていく物語はその時代であれば、到底受け入れられなかっただろうと思う。

 この物語で重要な意味を持つのが、オーガストが作っている蜂蜜のラベルにもなっている「黒マドンナ像」で、母から愛されていたことに確信の持てないリリィーが、マドンナ像に母を求めているうちに、母なるマリアの心は、それぞれ自分の心の中にあることに気づく。このあたりなんか宗教臭い。そう、作者の経歴を読んでみると、キリスト教布教のためのノンフィクション作家で、彼女自身も両親から愛されていないと悩んだ時期があり、キリスト教は彼女にとってとても重要な位置を占めているようだ。しかし、キリスト教にこだわる必要はなく、愛されていると感じることによる安心感と自信は普遍のものであるとこの本は教えてくれる。

 また、この本がとても特徴的なのは、養蜂場が舞台になっていることもあるが、各章のはじめに蜂の生態に関する引用文があることだ。それが各章の内容を示唆しており、不思議に人間にも当てはまる。例えばこんな具合、「初歩的な教えですが、女王蜂をみつけにくときは、取り巻きの集団を探せばよいのです。」

 「西の魔女」同様映画化され、米国では今月17日リリースされた。主人公の少女に天才子役のダコタ・ファニング、そして一緒に家出をするロザリンに、「ドリームガールズ」で第79回アカデミー賞の助演女優賞を受賞したジェニファー・ハドソンが務めている。大いに期待できそうなので、せめて映画を見られることをお勧めしたい。


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■【7】「秋田弁だば まんず おもしれー」(秋田おばこ編) ☆彡
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             ■ 右で握る? ■
                             
                              秋田おばこ

我が家に明治28年生まれの祖母がいて、ときどき
今では消えてしまった秋田ことばを使っていました。
その一つに、ニギリがあります。

「右手」のことを「ニギリの手」。
「右の方」は「ニギリの方」です。

ものを持つのは右手。左利きは論外。
矯正されるべきもの、という信念? を持っていました。
ニギリの反対は、「シュダリ」。
どっちも「リ」がついていて語呂がいい。
「ミギ」では収まりが悪いと言ってましたよ。


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□              ☆彡     ★彡
■【8】 詩        ☆彡     ★彡            
□                            ☆彡★彡
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      さらし物
                               井上達也 


苦しんだりうわごとをいっていた母さんが
急いで駆けつけた子どもたちの前で
物になりかかっていた
すでに物になったのは
ずっと離れた病棟の地下解剖室に入ったときからだったと思う
興味深そうに追いかけてドアを開けて様子を見た叔母さん
ぼくもそのすきまから室内を見た
ベッドの上の物
葬儀屋がシーツをめくって
物になった母さんの乳房を見たところだった
ぼくも近づいてもっとよく見てみたかった でも
姉さんに乱暴にドアを閉められた
後はなされるがままだ
医師と若い暗そうなインターン生が
遠慮もなくシーツを剥ぐと
すっかり葬儀屋の自由になるのだ
解体作業はもっと深くまで自由だ
肉体の崩れないうちに死んだ母さんは
すっかり恥を捨てさせられた
ひょっとして三人に唇を吸われているかもしれない
あるいは一人がそうやっている間に
一人は胸を揉み
インターン生などは陰部を開いているかもしれない
そんな妄想を打ち消そうと小さな家族たちのために
ぼくは缶ドリンクを買いに走った
彼らは母さんの体のもっと深いところを
興味の向くまままさぐっているというのに
きっと葬儀屋とインターン生は最後までうわべばかり見ているに違いない
という空想によってぼくも暗く狭い穴に手を差し込んで
転がり落ちてきた物をつかむ
乳首をつまんで甘い汁を吸う
ぼくらは裕福だというのに粗末な棺に
欲望にいじくられた残骸が詰め込まれた
母さんは弄ばれたことにもう泣くこともできない
その代わりに父や小さな家族たちが泣いた
医師たちをちっとも責めることなく
感謝さえして
その感覚がなんだかとってもまともじゃなかった
母さんの代わりとしてぼくはそれを運んだんだ
母さんは進行方向に向かって素直だった
自分の家のベッドに戻るまで
風習に従って進んだ
ぼくは手や頬で安い棺を支え匂いをかいだ
長い間病院の清潔なベッドに寝ていたけれど
自分の部屋から出るとき
またこのベッドに寝たい
そういっていたと父はぼくに手伝わせて
ベッドの紫のカバーを剥いでそっと置いた
少し沈んだ母さんはまるで蝋人形だ
蝋人形に恋する人々がいる
死体に恋する人々もいる
けれどすっかり母さんは物になっている
だれが惚れるものか
好餌の対象になるだけだ
木の箱にしまって石の墓室に隠してしまいたいのに
どうしてさらし物にしたいんだろう
明るい部屋に飾られて
通夜にやってくるお客たちの態度は今度ばかりはなんの遠慮もない
美しい母さんに似せた人形に食い入って
視線を這わせそして手さえ這わせる
どうして誰も布の一枚でも顔に掛けてやらないのだ
どうして箱にしまってやらないのだ
お祭りを避けてぼくは自分の部屋に閉じこもる
父よ 怒らないでくれ


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□             ☆彡☆彡
■【9】詩                ◆彡◇彡
□                          ◆彡★彡
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    ■ 喜び ■

                  陣内 三朗


苦しみがあるから
喜びが際立つのかもしれません
喜びを喜びとして
感じられるのかもしれません

空腹の後の
美味しさのように


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★【10】 編集後記                     ★☆★
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急いで出かけようとして、自転車の2つ目の鍵がないことに気づいた。荷物が多い時など、鍵をつけっぱなしにしたり、どこに鍵をつっこんだのか忘れることは多かった。しかし、とうとう数ヶ月前に1つ目の鍵をなくしてしまった。スペアキーを作りに行ったが、なんと自転車の鍵は作れないとのこと。鍵をなくさないように気をつけていたのに、やってしまった。運悪く近所の自転車屋は定休日。こんなこともあろうかと予備に置いていた折りたたみ自転車のタイヤに念のため空気を入れたら、なんとバルブが飛びタイヤの空気が完全に抜けた。ほんま運の悪い日はあるもんです。 (スー)
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